偲ぶ会

いつまでも心の中に生きている

IMG_5266 今日12月6日、もりもりレディースを創設して、女性パワーで私を支えて下さった津田 外志子さんを偲ぶ会を開いた。地元で津田さんと特別に縁のあった方々24人が集まって下さった。息子さん夫妻も遺影を携えて参加して下さり、感謝の言葉を述べられた。
 偲ぶ会のお世話を頂いた皆様に深く感謝を申し上げる。

IMG_5267 矢面に立つ者の苦悩を決して表に出さず、考え方や立場で分け隔てせず人をつなぎ、常に先を見据え、発想豊かに集いの場を創造された方だった。参加された縁ある方々からは、それぞれの津田さんとのつきあいから、多彩で人間力あふれる津田さんの人柄が静かに語られた。 皆一様に、早すぎた死を惜しんだ。IMG_5269

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 でも、津田さんは、悲しみに沈むことを望まないと思う。私の中にも、皆さんの中にも津田さんはいつだって生きている。その思いを込めて、「千の風になって」を遺影でほほえむ津田 外志子さんに捧げた。

 

 訪韓が重なり葬儀に参列できなかった私の「お別れの言葉」を掲載し、私自身の誓いを新たにしたい。

 

お別れの言葉

  津田外志子様の告別式に当たり、謹んで哀悼の誠を捧げます。

 今、私は韓国を訪れています。東北アジア平和連帯国際シンポジウムに参加し、金沢市民の平和への思いを報告する任務を与えられたためです。このような形で惜別の言葉を申し上げねばならないことは、痛恨の極みですが、「ちゃんと仕事をしておいで。」とおっしゃるに違いない外志子さんのお声に促され、このお別れの言葉をしたためました。

 仮通夜にお参りさせて頂いた津田さんは、今にも起きあがって「先生!」と呼んで下さるようなお姿でした。10日ほど前にお電話で、新しい療養場所のことを伺ったばかりでした。なのに、旅立ちは余りに早すぎました。誰もが、今も信じられない思いです。

 この13年間、政治の世界に踏み入った私には、津田さんはもうひとりの母親のような存在でした。海の物とも山の物とも知れない世間知らずの私を初めから懐深く迎え入れて下さったのは、津田さん、貴方でした。そして、地域での振る舞いを諭されながら、次々と大切な方々を私に繋ぎ、その絆を広く太く紡で下さったのも貴方でした。もりもりレディース会長をはじめ、地域の牽引者としての素晴らしいお力と多彩な人という財産を私に注いで下さったのです。

 私の活動には必ず貴方が居て下さいましたね。議会傍聴、市政報告会、後援会総会、長寿会。そして、バス旅行、お茶会、ニットファッションショー、数え切れないほどの食事会。さらには、難解な市民の政策研究会、はたまた、中央公園で座り込んでいる私に、署名簿を携え、お仲間と連れ立って馳せ参じて下さったこともありましたね。立場の違いに拘らず、丸ごと私を受け入れ、大きな期待と共に支えて下さったことを深い感謝の念で思い起こします。そのお心は、ひとり私にだけではなく、私の仲間たちにも等しくかけて頂いたことも忘れません。

 そんな貴方に、議員辞職の混乱では、たいへんなご心労をおかけしました。それにもかかわらず、変わることなく慈愛に満ちたお心で復活の歩みを支えて下さいました。私たち夫婦におそろいの手編み座布団をプレゼントして下さったのも、議員復活を盤石にの願いを編み込んで下さったのですね。

 4月25日、投票日前日、貴方は病院から一時帰宅され、ご自宅前で車椅子に乗って私を熱烈に迎えて下さいました。そのお心が、皆さんに伝わり、私を押し上げて下さったのです。これから、本当にこれから、貴方のご期待に添うべく再スタートの時なのに・・。

 いつだって、病室に入られても、明日のこと、これからのことを生き生きと語って聞かせて下さいましたね。あの情熱あふれるお顔にもう一度お目にかかりたい・・。でも、今となってはせんない願いです。この悲しい現実を受け入れなければなりません。

 津田外志子さん、貴方のすべての時間を注いで育てて頂いた私の責務は、分け隔てなく、人々の幸せのために懸命に働くことだと思います。それ以外に、ご恩に報いる道はありません。どうか天空から千の風になって、この中村の地域を、そして私を見守って下さい。

 安らかにお眠り下さい。ありがとうございました。重ねて深い感謝を捧げ、お別れの言葉と致します。

 2015年11月5日
 金沢市議会議員 森 一敏