南北首脳会談最中に訪韓 韓国平和友好訪問2018報告

 韓国平和友好訪問2018
ー尹奉吉義士顕揚第45回祭享・文化祭参列ー

 【訪問の趣旨】
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1932年4月29日、当時の天長節の上海に於いて、韓国では日本植民地支配からの独立闘争の英雄と尊敬される尹奉吉(ユン・ボンギル)義士が、戦勝祝賀式壇上の日本侵略軍首脳に向かって爆弾を投擲しました。近代史に残る「上海爆弾事件」です。大陸侵略の中心部隊として名を馳せた金沢の第9師団が義士を捕らえ、処刑後秘密裏に野田山陸軍墓地崖下に暗葬しました。

 1945年日本敗戦後、遺体は発掘され、1992年12月19日(義士命日)、朴仁祚初代月進会会長主導の下、生地禮山郡月進会から揮亳を得て、暗葬の跡碑が設置されました。資金は、在日市民と日本人市民有志の募金によって支えられました。2008年12月19日には、永代使用許可の手続きが成り、今日史跡の保存活動は、月進会日本支部が継承しています。

 この近代の不幸な歴史を留める野田山の暗葬跡地を機縁として、私たちは、4月29日義挙記念日に執り行われる祭享(チェヒャン)に参列することをはじめ、月進会との間で活発な民間交流を展開してきました。2005年、郡守と市長、市議会議長と郡議会議長の相互訪問、2006年、禮山郡に本拠を置く李光壽率いる民族音楽院の金沢への来演などが実現し、以後、政治、文化芸術の幅広い交流を重ねながら、相互の信頼関係を築いてきました。一昨年には、禮山郡の黄新郡守が金沢を訪問され、暗葬之跡の存在と民間交流に深い感動を表明されました。

 今日私たちの交流は、2010年韓国併合からの100周年を経て、歴史認識の共有から東アジアの平和構築への共同行動へと新たな段階を進んでいます。昨年12月に初めて金沢市で開催した日韓共同学術会議の成功は、その到達点を印象づけました、本年第45回を迎える祭享に今年も訪問団を編成し、金沢・禮山の平和連帯をさらに前進させたいと思います。

◇訪問団員20人 
◇訪問日程
 
◆出発 2018年4月25日(水) 富山きときと空港 17:00発 AIR SEOUL 
     仁川国際空港 19:00着     RS781便

 ◆帰国 2018年 4月30日(月)  仁川国際空港   14:00発 AIR SEOUL
     富山きときと空港 16:00着     RS782便

日程 
4月26日(木)10:00 青瓦台(大統領府)訪問・見学
        12:00 大韓民国臨時政府記念事業会会長長の招待での昼食会
        14:00 徐勝立命館大学コリア研究所顧問と見学
               『記憶のルート獄中19年と西大門刑務所』
           16:30 大韓民国歴史博物館(光化門)
               特別展「済州4.3いまやわたしたちの歴史だ」見学
               済州島4.3事件についての懇談
        18:00    月進会理事  洪中杓さん(江東水産株式会社会長)による歓迎宴(可楽水産市場内) 4月27日(金)10:30    月進会手配バスで移動
                 尹奉吉義士墓参(孝昌公園) 他
                                13:00   独立紀念館主催昼食会
         14:30 独立紀念館訪問・懇談(金沢での共同学術会議御礼)
         17:00    禮山郡権国章郡議会議長による招宴 
         19:00 前夜祭 キム・ヨンジャ公演(島中島特設野外ステージ)
4月28日(土) 10:00 禮山郡郡守表敬訪問
               新郡庁見学
         12:00    黄善奉郡守主催昼食会
         14:30 平和ト-クコンサート(島中島特設野外ステージ)
                                16:30 東北アジア平和フェスティバル
                                19:30 ミュージカル「私はユン・ボンギルだ」公演
4月29日(日) 10:00    義挙86周年記念第45回祭享
                                                       茶禮式参列、本部行事参列
                会場内で地元住民と昼食交流
         18:00    月進会晩餐                                                  
4月30日(月)     8:00 禮山郡出発(月進会手配のバスにより)
                                14:00 仁川国際空港発 AIR SEOUL RS782便                  
                                16:00 富山きときと空港着、解団

【4月25日夜】
2 東北アジアの平和連帯のために、今年も韓国にやって来た。遅い夕食。出迎えた尹奉吉月進会李佑宰名誉会長、立命館大学コリア研究センター顧問徐勝さんも口々に南北首脳会談は成功するだろうと挨拶。

韓民族の悲願は 東北アジアの平和共存
 
朴正熈軍事独裁政権と闘った民主化闘争の闘志は、今や私たちの掛け替えない友人となっている。李佑宰月進会名誉会長とは昨年12月金沢での日韓共同学術会議以来、徐勝さんとは2月の憲法を守る会総会講演以来の再会だ。
二人とも、民主化闘争の螺旋的発展の到達点として、明日の南北首脳会1談を捉えている。そして、南北融和は、東北アジアの平和共存の課題となる。私たちも歴史の大河の只中にいることを自覚したい。
いつになく、高揚感ある挨拶が続いた。
 一夜明けて26日、テレビニュースは、この南北首脳会談一色だ。私たちは明朝青瓦台を訪問する。日本の平和勢力として特別に許されて。
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・世界の知識人の発言(路上幕)・民主労働党委員長を釈放せよ・教職員の長時間労働撲滅を

【4月26日】
日韓朝近現代史を巡る一日
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青瓦台は、文在寅大統領就任により、一躍人気スポットになった。私たちは、8月まで隙間なく見学者がある中、月進会李佑宰名誉会長と李泰ボク新会長、徐勝さんが、尹奉吉に取り組む平和運動団体だからと談判し、特別に取り計られたと聞く。民衆の大統領を歓迎する人々の思いは、苦難の歴史の裏返しだ。
4 青瓦台には、日本の朝鮮総督の官邸が置かれ、解放後も朝鮮戦争を挟んで軍事独裁政権の執務施設として活用されてきた。民主化闘争が文民大統領を実現させて日帝時代の施設は取り壊され、現在の姿になった。27日の南北首脳会談という歴史の大転換がなければ、文在寅大統領か政府高官に表敬できたかもしれないとまことしやかな話も聞く。それはともかく、民主化闘争の担い手と大統領はそれほど近い存在なのだ。

11 その日本帝国主義に対し、武装闘争で独立を目指した大韓民国臨時政府の歴史を顕彰する祈念事業会から昼食会に招かれた。 現在の祈念事業会会長は、韓国のジャンヌダルクとも言えるほど、命懸けで上海大韓民10国臨時政府を支援した鄭正花(チョン・ジョンハ)の息子90歳を超える金滋東さん。この人もまた、軍事独裁からの民主化闘争の闘志だ。彼の娘もまた、労働運動から自主管理の自動車部品会社を禮山郡で経営する。ここにも尹奉吉の精神が脈打っている。
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 午後は、徐勝さんを講師に、解放後の軍事独裁政権下の民衆抑圧を学んだ。
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1523 1908年に開設された西大門監獄。併合する2年前の時点で早くも抵抗、独立運動を政治犯として弾圧する仕組みを整えていたのは、植民地支配の苛烈さを自己認識していた証でもある。この監獄で拷問の末に殺された義士たちの顔写真が部屋の壁全面に張り出されている。その一つ一つを見学にやってきたたくさんの少年少女たちが覗き込んでいく。

14 徐勝さんは、朴正熈の軍事独裁に捕らえられ、未決囚としてこの監獄に収監された。その後19年にわたり刑務所生活を送ることになる。李佑宰名誉会長も李泰ボク新会長も政治犯として監獄経験を持っている。徐勝さんの解説は体験を踏まえたもので、淡々とした中に、人権蹂躙への消えない怒り、民主化への飽くなき信念が溢れ出す。
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 この軍事独裁政権は親日派であり、アメリカが後ろ盾となって、南北分断を固定化してきた。日本統治時代に仕込まれた南の軍隊は野蛮であった。それがアメリカと結んで引き起こした1948年4月3日の済州島虐殺事件。島民の 15パーセントが殺された真相は、歴代軍事独裁政権によって隠されてきた。文在寅大統領は、公約通り、国立歴史博物館で特別展という形で事実の一端を公開している。24
26  私たちは歴史博物館の新しい館長朱さんを表敬し、青瓦台を見渡せる屋上での記念撮影に臨んだ。
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28 最終のスケジュールは、ソウル最大の可楽農水産市場での招宴。市場を管理する洪中杓さんは、南北統一に生涯をかけてきた人。李佑宰尹奉吉月進会名誉会長の同志の一人だ。新会長の李泰馥(ボク)さんは、金大中大統領の首席補佐官。やはり、尹奉吉の生地禮山郡出身の民主化運動の闘志だ。月進会もまた新しい体制で、東北アジアの平和連帯の発展を期す。
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 最後に李泰馥さんが安倍首相の答弁がおかしいと挨拶で指摘。南北首脳会談に際し、文在寅大統領に拉致問題の解決を要請したと。文在寅大統領は、すでに金正恩委員長に働きかけていることを知らないはずはない。何の関与もできないメンツつぶれの苦し紛れ発言だ。しかも、南北分断と固定化の引き金は日本であるとの認識は欠片もない。
全く恥ずかしい限りだ。

【4月27日】
南北首脳会談に沸く歴史的な日に

34 歴史的な朝。何度か訪れた板門店がその舞台になる。昨日、大韓民国歴史博物館の屋上からも、アメリカCNNが青瓦台からの大統領の動きを生中継すると朱館長から聞いた。一部韓国右翼が抗議行動しているが、対話の大河を押し留めることはできない。テレビは南北首脳会談一色。NHKの生中継もインターネットで観られた。この一年の激変には驚くばかりだが、1953年から65年の国の分断により同胞が引き裂かれた人々の悲しみの深さを知るべきだ。

35 私たちは、この日に独立運動家尹奉吉の墓前に東北アジアの平和共存に誓いを新たにすることになった。日本帝国主義による筆舌に尽くしがたい苦難。解放後の軍事独裁政権による民衆弾圧。その裏側には米日の思惑があった。日本の戦争責任・戦後補償は南北分断固定化への責任にまで及んでいることを共に認識したい。
 朝鮮半島の非核化を盛り込んだ板門店宣言にトランプ大統領は朝鮮戦36争終結などまともなコメントを発した。韓米同盟の質の転換も視野に入ってくる。安倍政権は発すべき主体的なコメントが出せないでいる。情けなきコントラストだ。

37 昼過ぎに昨年末の日韓共同学術会議でお世話になった韓国独立紀念館を表敬訪問。李俊植新館長は、この歴史的な日の訪問に謝意を述べ、尹奉吉義士をはじめ幾多の独立運動家のたたかいは、常に世界の平和を求めるものであったと振り返った。そして、今日の南北首脳会談は、尹奉吉の思想の先に位置付いていると締めくくった。
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 独立紀念館主催の昼食会と短い懇談を終えて、我々は一路禮山郡へと走った。禮山郡では、権郡議会議長の招宴に臨み、中国の諸歴史紀念施設の研究者、モンゴルの友人たちとも再会した。
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 尹奉吉義挙祝賀の特別野外ステージでは、キム・ヨンジャのステージに盛り上がった。私が月進会日本支部長とステージに呼び出され、スピーチを促されるという予期せぬハプニング。ステージを降りて住民と一体になって歌い踊48るキム・ヨンジャさんが、間奏の合間に歩み寄って来て「すいません、これ韓国スタイルなんです🎶」と私に耳打ちした。私は慣れているのにね (笑)
 農村の夜空にビートの効いた韓国演歌やKポップリズムが響いた。

【4月28日】
尹奉吉生地禮山郡は祝祭の一日
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28日は、禮山郡は農業都市の郡民が、年に一度の祝祭を楽しむ。月進会が主管するイヴェントは多様だが、柱に尹奉吉義士の独立精神と平和希求が通されている。

58 郡庁が移転新築され、中国、モンゴルの訪問団と共に、新庁舎に黄善奉郡守を表敬した。いつもながら満面の笑みで私たちを迎え、来訪を歓迎された。昼食招宴では、郡守を囲み、モンゴルの友人ナムジルドルジ元ツェツェルレク市長、ハルビンの安重根紀念館研究員と対話を弾ませた。私は、東アジア文化都市交流事業が始まっていることを伝え、今夏、ハルビン訪問を考えていることを伝えた。

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    61 午後は、平和トークコンサートと題する高校生向けのトークにステージに上がった。私への問いは、尹奉吉義士に関わってどんな攻撃にあって来たか?なぜ日本人でありながら尹奉吉に関わってきたのか?だった。「歴史への責任」と答えた。

60 昼食は立ち並ぶ食事ブースで。15年間の交流で友人がたくさん生まれ、顔を見かけると、どちらからともなく駆け寄り、ハグ・握手が続く。そして、ブースに連れられて会食となった。昼食何回みたいに。(苦笑)59

 東北アジア平和コンサートは、メイン行事のひとつ。中国、モンゴルから民族音楽、私たちからは盛本県議の尺八、広瀬雅英さんの篠笛。いつもの大家李光壽民族音楽院が進行を支えた。禮山郡の山野に二人の和楽器が幽玄な余韻を残した。
 このコンサートの後、ミュージカル「私はユン・ボンギルだ」。暗闇に展開される尹奉吉の義挙再現に、いつしか満場の人々が集まっていた。人々が尹奉吉義士に寄せる思いがひしと伝わった。
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89 今夜も多忙な中、李光壽夫妻は招宴に招いてくれた。夫妻は、いつも訪れた私たちに温かい気遣いをしてくれる。12年前、困難な再入国を実現する手伝いをしたことへの恩義を忘れないと。団員たちは友人だ。皆民主化運動を支持している。私たちとの心のつながりは深い。

【4月29日】
第45回祭礼 尹奉吉(ユン・ボンギル)精神は東北アジアの平和共存へと今に生きている
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 爽やかな晴天が続く生地禮山郡では、尹奉吉義挙(上海爆弾事件)を讃え、彼を追慕する祭礼・文化祭典で祝賀ムードに包まれた。
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   祭礼では、文在寅大統領から花輪が捧げられた。献花の後、尹奉吉義士の孫娘尹柱卿前独立紀念館館長を囲んで記念撮影した。74

76 式典の挨拶に立った新会長の李泰馥さんは、「南北首脳会談に尹奉吉義士の精神が宿っている。東北アジアの平和連帯をさらに広げよう。」と呼びかけた。忠清南道副知事、地元選手国会議員、道議会議員、郡議会議員が次々と挨拶に立った。
 余談だが、韓国の地方自治体は、この6月に首長、議員が全国一斉に改選される。候補予定者忠清南道は保守的な土地柄だとされるが、若い世代には共に民主党への期待が強いと聞いた。尹奉吉運動が、民主化運動とさらに結びついて、保守層が変容していくのか気になるところだ。

77 ところで、我が日本代表団は、代表して田村光彰団長が、「日本政府は今日、公文書の隠蔽・改ざんが底なしの状況だか、それは今に始まったことではない。植民地支配、侵略に関する文書は、すべて焼却の命令が出されていた。改めて、植民地支配により与えた苦しみに対して許し乞う。」と謝罪した。
79 その上で、尹義士の抵抗運動は世界史的なレジスタンスに連なるものだと評価し、我々も世界の潮流に加わり、東アジアから世界の平和連帯のために引き続き努力したいと結んだ。満場の市民から大きな拍手を受けた。

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ここまで来るまでに何人が倒れてきたか

 月進会の歓迎宴で、李佑宰名誉会長がスピーチの途中に言葉を詰まらせた。「日本では数十万人の署名を提出しても、国の政治は変わらないだろう。だが、韓国では、人々が行動すれば、こうして変えられる。これが民主主義の力だ。ここまで来るまでに一体何人の人々が倒れたことか…」来し方を想い起こし、涙したのだ。(写真は可楽市場でのスピーチ) 
 88植民地支配への命がけの抵抗、朝鮮戦争での同胞400万人の死。そして軍事独裁政権下と米日による抑圧に対する体を張った民主化闘争。その到達点がキャンドル革命であり、南北首脳会談なのだ。

 私たちが日本で、地域社会でなすべきは、東北アジアの側に立ち、歴史を伝え、人をつなぎ、自治体の平和連帯施策を前進させることだ。温かい見送りを受けて、私たちは思いを新たにして帰途についた。(4月30日記)
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