11.6 東北アジア平和連帯国際シンポジウムでの報告

 ここでは、2015年11月6日韓国忠清南道禮山郡で開催された第6回東北アジア平和連帯国際シンポジウムの概要を報告する。

第6回東北アジア平和連帯国際シンポジウム 
11.6-14 
11月6日(金)9:30~13:30
 禮山郡スパ・キャッスルリソムホテルにて

 報告 韓国月進会会長報告 
                  李 佑宰「東北アジア平和連帯を組織して強化していこう」
    韓国独立紀念館前責任研究委員 
                  李 ドンオン「韓国の独立運動と平和主義思想」
    中国虹口公園歴史博物館館長 
     薜理勇「朝鮮独立運動中における虹口公園爆弾事件の意義」
    安重根紀念館 研究員(大連外国語大学)
                   金 月培「平和主義者安重根義士の遺骨発掘は東洋平和の実践」
11.6-11

モンゴル国家安全保障理事会所属戦略研究所 選任研究員 
    BAASANJAV LKHAGVAA博士
    「東北アジア平和協力 ーモンゴルの位置と役割」
11.6-6愛媛大学 教授 
    和田 寿博
    「歴史を踏ふまえ未来を展望ー学生たちの平     和学習と交流」    

 

 旅順日露監獄遺跡地博物館 館長 
      崔 ジュサン
     「剣山記念碑に見る白川義則の中国東北での 侵略罪行」
 
尹奉吉義士共の会事務局長(金沢市議会議員)
      森 一敏
     「過去に向き合い『戦争のできる国』は許さない」

 
パネルディスカッション
    月進会日本支部長 朴賢澤、元モンゴルツェツェルレク市長 ナムジルドルジ、虹口公園歴史博物館館長薜理勇
11.6-8 11.6-9

11.6-3 シンポジウム開会に先立ち、韓国月進会と中国上海虹口公園管理所との間で姉妹団体提携の調印式が行われた。韓中抗日の転換点に尹奉吉の義挙が位置くという考え方で、提携が強化される。これも、李月進会会長の構想する平和連帯の枠付けを具体化するひとつだ。

 開会に当たり、李佑宰月進会会長は、以下のように状況と課題を熱弁した。また独立紀念館館長に就任している尹柱卿さん(孫)も挨拶した。
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11.6-5 休憩時に李光壽民族音楽院長が特別出演し、シンポジウム成句を祈願するピナリを披露した後、パネルディスカッションでは、朴賢澤月進会日本支部長が、「金沢市野田山の暗葬之跡保存活動は平和への道だ。私は在日韓国人だが、日本で平和の道を歩きたい。金沢で朴仁祚氏が発掘に関わり、史跡を建立するに至ったが、当時は尹圭相名誉会長、そして現在も李佑宰会長、また愛媛の和田先生などの協力があり、とても力強く感じている。光り輝く世界のために努力したい。」

 今シンポジウムでは、和田寿博教授が伴った愛媛、松山大学の学生に加え、韓国側から徳山高校の生徒、教員、教育庁など教育と青年交流が意図されていた。

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◆私の報告内容を以下に掲載する 

過去に向き合い「戦争のできる国」は許さない

2015.11.6 東北アジア平和連帯国際シンポジウムinYESAN
尹奉吉義士共の会事務局長 金沢市議会議員 森 一敏

 
11.6-7はじめに 月進会を軸にした交流史が私たちを支えている

  報告にあたり、本年3月に逝去された尹圭相月進会名誉会長の言葉を思い起こす。2008年、尹奉吉義士生誕100周年の記念すべき年に寄せて、次のように述べている。「今世界の問題は格差である。国々が国境を持って対峙し、その国々の内部でも格差が拡大している。国同士の関係を改善すれば、軍備は必要なくなり、その金をもって世界の窮民を救済できるはずだ。尹奉吉義士の心は韓国民族の解放にとどまらず、東洋平和、すなわち世界に平和をもたらすことにあった。」私たちは、これを義士の心を引き継ぎ、国境や民族を越えた平和のための国際連帯を呼びかけたものであると受け止めている。

 さらに、2010年、日本が韓国を強制併合してから100年の節目では、李佑宰月進会会長が、金沢と禮山との一層の交流促進、青少年交流、歴史認識と平和連帯をテーマとするシンポジュウム開催などからなる提案を行った。これに呼応し、私たちは、2011年を皮切りに東北アジア平和連帯金沢シンポジュウムなど意見交換を5回積み重ね、両地域市民の相互信頼と自治体間の連携によって、平和連帯の基礎を築くことは可能であるとの意思を共有したところだ。

 この間、私たちと禮山郡との交流は、国家間の問題を受けて何度か困難に直面してきたが、何にもまして植民地支配を正視し、その非道をわび、過ちを国家に繰り返させない決意をもってこれを乗り越えてきた。現在、日本の右傾化、軍事化の情勢下、私たちは苦闘を強いられている。しかし、私たちには、韓国月進会を軸にした韓中蒙露人民との交流によって得られた信頼と確信がある。すなわち、軍事力による「平和秩序」は脆いまやかしであり、武力や威嚇を排除した相互尊重と共存の思想こそが平和を創り出すとの確信である。この確信と絶えざる交流が私たちに勇気と展望を与え、平和のための苦闘を支えてくれている。このことに深く感謝したい。

 1.アジア・世界の緊張を高める安倍政権の「積極的平和主義」に抗して

  本日このシンポジウムで、極めて残念な報告をしなければならない。敗戦から70年のこの年に、日本国憲法に背く違憲の法律「平和安全法制整備法」と「国際平和支援法」が強行成立に至ったことである。1950年朝鮮戦争(韓国戦争)を機に創設された警察予備隊が1954年7月1日に自衛隊となって以来、1960年の安保反対闘争、60年代後半のベトナム反戦運動などを経て、日本政府は、1972年に「外国の武力攻撃によって、国民の生命、自由及び幸福の権利が根底からくつがえされるという急迫、不正の事態が起きたとき、(武力の行使は)国民の権利を守るためにやむを得ない措置としてはじめて容認されるが、他国に加えられた武力攻撃を阻止する集団的自衛権の行使は、憲法上許されない。」とする政府見解を発表した。この見解に基づき、翌73年に自衛権行使の三要件、「急迫不正の侵害があり、国民の生命、幸福追求権が根底から覆される事態」「他にこれを排除して、国を防衛する手段がないこと」「必要な限度にとどめること」が定められた。これ以来、歴代政府は、集団的自衛権発動による自衛隊の海外派兵は憲法上禁じられているとの立場に立って、2000年代初頭のアフガン戦争でもイラク戦争でも、戦闘地域への自衛隊派遣を踏みとどまってきた。

 ところが、安倍政権は、「積極的平和主義」を打ち出し、昨年2014年7月1日に、集団的自衛権の一部行使容認は憲法の枠内であるとの政府見解の変更を閣議決定した。この憲法解釈の変更を正当化するために「我が国及び我が国と密接な関係にある国が武力攻撃を受けて」を加えた「新三要件」を示すとともに、これを法制化するために、上記の二法案を本年5月15日(沖縄復帰記念日)に国会提出し、異例の長期会期延長の末9月19日未明に強行採決したのである。8割が「説明不足のまま採決すべきではない」、6割以上が「戦争に巻き込まれる懸念から反対である」、賛成わずかに2割強という国民世論は無視された。

 これらの安保法が運用されれば、日本の「専守防衛」は形骸化し、アメリカなどの同盟国から求められれば、日本自体が武力攻撃を受けずとも、地理的な制約なく、いつでもどこへでも自衛隊を海外に派遣することができるようになる。

 政府は、解釈変更の閣議決定と「新三要件」を72年政府見解と「三要件」の論理を踏襲しており、合憲であると説明しているが、ほとんどの憲法学者、弁護士をはじめ法曹界、歴代の元内閣法制局長官さらには元最高裁長官、元判事までもが、その解釈の違憲性を訴え、安保法案は立憲主義を侵し、違憲立法で許されないとする意見を表明している。酷暑の期間、のべ500万人を越える反対市民が国会周辺を埋め尽くし、沖縄はもとより、全国各地でも様々な意思表示のたたかいが繰り広げられた。私たちも、石川県内で活動してきた護憲平和8団体の共同行動に深く参与し、3ヶ月に及ぶ座り込み、街頭宣伝、2000人規模を含む数次にわたる県民集会とデモ行進、地方議会請願などを決行し、政府及び国会に安保法案の廃案を求め、市民世論に訴えてきた。これらには、共の会の在日市民を含め大半の会員が参加してきた。

 安保二法は、手続き上は「成立」したが、民主主義国家の基本である立憲主義を破壊し、憲法の不戦平和主義に反する違憲立法である。即ち無効である。法案反対で前面に躍り出たSEALDs(シールズ:Students Emergency Action for Liberal Democracy – s)や安保法案に反対するママの会をはじめ、これまで政治に無関心だったことを自己反省する若い世代は、自由で民主的な日本を守るための自主的な行動を続けると表明している。来年夏の参議院議員選挙まで、違憲訴訟を含む安保法廃止、安倍政権退陣を求める国民運動を強化発展させなければならない。

 私は、自衛隊が米軍と一体化し「米国肩代わり軍」となって、日本が戦争当事国となる可能性を否定できない。また中国、朝鮮民主主義人民共和国を仮想敵国とする軍事戦略が、アジアに無用の緊張を高め、平和連帯に逆行する事態が進行することを懸念している。植民地支配と侵略戦争の歴史認識を否定し、敗戦から学ばず、「国防を越える国防軍」を持つ「普通の国家」として国際舞台で振る舞いたいという安倍政権の思想には決して与することはできない。石川、金沢で「忘れない」「違憲立法は許さない」と声を上げ続ける決意である。

 2.石川、金沢で進む歴史修正主義・右傾化

  ところで、安倍政権の「戦争のできる国づくり」は、教育においては、「歴史修正主義」即ち史実を直視することを「自虐史観」と誹謗する一方、植民地支配と侵略戦争を肯定し、それらをアジアの近代化と独立への貢献であると記述する教科書採択の政治運動を全国的に展開してきた。こともあろうに、金沢市は小松市、加賀市とともに、来年春から使用する中学校歴史教科書で、この歴史修正主義にもとづく育鵬社版を採択した。日本の伝統文化への誇りと愛着、国民の自覚を育むとする意図の下、「従軍慰安婦」にも植民地支配に抵抗する韓国・朝鮮民衆の命がけの抗日運動にも触れず、南京大虐殺の既述は薄められている。そればかりではない、日本文明の独自性を強調するあまり、中国文明や朝鮮からの文化伝来が明確に書かれず、近世の日朝友好の象徴である朝鮮通信使も登場しない。

 9月の金沢市議会では、共の会理事山本由起子議員とともに私も教育委員会を追及した。学校現場の教職員、大学研究者等による調査研究にもとづく教科書採択委員会の答申では評価が低かった育鵬社版歴史教科書が、なぜ教育委員会会議で逆転採択されたのか、私たちの問いに教育委員長も教育長も説明のつかない答弁に終始している。

 この採択には、山野金沢市長の歴史認識とそれに連なる県内右派勢力の教科書採択圧力が透けて見える。中国蘇州市、韓国全州市と姉妹都市関係にある金沢市で、こうした独善的な歴史教科書が使用され、相互関係史である歴史認識に欠ける尊大な青少年が生み出されることがあってはならない。それは、平和連帯の共通基盤を破壊することに等しいからだ。全国シェアわずか6.5%といわれる育鵬社版歴史教科書の問題性を保護者・市民に明らかにし、東北アジアの平和連帯の担い手として子どもたちを育む適正な教科書、授業を求める市民の運動をつくり出そうと相談を始めているところだ。

 3.東北アジア平和連帯に向けた私たちの構想と「金沢国際地方政府宣言」

  ここまで述べてきた日本および金沢の状況には容易ならざるものがある。しかし、これまでの交流を基礎に、茨であっても平和連帯の道を前進したいと思う。本年6月、月進会来訪団と金沢で、「『70年』の意義と『70年』以降を見据えた展望 ―平和連帯を拡大強化するためにー」と題する日本敗戦・韓国解放70年今後の平和連帯を考える意見交換会を開催し、以下の共通課題を確認した。

(1)学生・青年相互交流の拡大について

 禮山郡から、メホンパロミを中心に青少年が、尹奉吉の足跡と精神に学ぶ活動の一環で3年連続して金沢を訪問している。その際に、全州市工業高校と姉妹校提携を結ぶ金沢市立工業高校の積極的な理解・姿勢の下、青少年訪問団と同校生徒との交流の機会が二年続けて実現した。

 禮山郡では、教育関係者による研究組織が設立され、尹奉吉の平和精神を受け継ぐ教育実践が推し進められていると伺う。金沢においては、大学研究者を通じた学生の交流参加等を実現させていくことが必要だ。

(2)海を越えた都市間連携「金沢でのシンポジウム」の新展開について

 禮山郡に呼応し、金沢でも、月進会来訪の機会に、昨年まで3年連続で市民公開の東北アジア平和連帯金沢シンポジウムを開催してきた。戦後70年を迎え、アジア共通の歴史認識の醸成と東北アジアの平和連帯構築は一体の課題であり、その必要は高まっている。アジアの抵抗運動を象徴する尹奉吉の義挙を足跡として持つ関係自治体が海を越え、共同のシンポジウムを行うことは大きな意義を有すると考える。

 また、日本国内には、平和運動として日韓連帯にとりくむ市民運動団体が存在し、継続した活動が行われている。これらの団体とも連携を図り、金沢での国際シンポジウムが開催できないか検討したい。

(3)暗葬之跡資料館建設とアジア歴史共同研究センター構想について

 尹奉吉義士暗葬之跡での資料館整備は、日本及び金沢の情勢から困難な状況にある。しかし、植民地支配への抵抗を刻み金沢にしかない史跡が持つ意味は大きい。その資料館化には、政治的情勢を越える自治体連携が必要になる。上海市を省都とし石川県と姉妹縁組にある江蘇省、金沢市の姉妹都市蘇州市、全州市との連携である。さらには、ユネスコ創造都市ネットワークに加盟する金沢市と全州市が、ユネスコの平和精神と憲章が謳う「教育文化における都市の平和への責任」に基づいて中心になり、禮山郡はじめ関係自治体が連携する「アジア歴史共同研究センター」を金沢に設置する道筋である。

 この5月に、ユネスコ創造都市ネットワーク世界会議が金沢で開催された。その際、現在は同床異夢ではあるが、ユネスコ創造都市ネットワーククラフト分野の研究所誘致への意欲を山野市長は表明している。因みに、国連大学高等研究いしかわ・かなざわオペレーティング・ユニット(環境部門研究所)は、すでに金沢に開設されている。

 最後に「金沢国際地方政府宣言」について

  私事になるが、韓国の友人たちに多大なご心配をおかけした議員辞職から2年。そして、この4月、海を越えて温かい声援を頂く中、再び最高点で金沢市議会議員に復帰させて頂いた。こうして、この場所で報告の機会を与えられていることに深く感謝を申し上げる。 

 私の議員復帰を待たずに逝去された尹圭相月進会名誉会長、ならびに朴仁祚元月進会日本支部長、そして平田誠一元金沢市議会議員の導きにも深甚から感謝を申し上げたい。

 私が金沢市民に訴えかけた政治公約「平和を金沢の資産に」は、私と市民自治を考える「市民の政策研究会」の仲間たちが起草した「金沢国際地方政府宣言」を下敷きにしたものである。国境を越えて人々が平和のうちに人間の尊厳をもって生き続けられるよう、自治体は市民の側に立ち、国境を越えて連携し、政府と対等の立場からその実現に奮闘しなければならないとの考えを基礎にしている。私たちの地方政府宣言を実現するには、今、国際連帯活動の一環として積み上げられている月進会を中心とする東北アジア諸地域人民のさらなる共同行動が不可欠だと考えている。

〔参考資料〕
金沢国際地方政府宣言
(2015年2月15日起草)より

前 文 

~金沢に国際的な平和・人権規範を体現した地方政府を打ち立てよう~

  ここで私たちが言う「金沢国際地方政府」には、地方自治体である金沢を、日本国憲法のみならず、平和と人権を獲得するために長年にわたって人々が苦闘し、結実させてきた国際規範を体現する地方政府として発展させようという意味を込めている。また、そもそも、地域や地方とは、国家の成立以前から存在しており、本来的に国際に通じるものであると捉えている。

  さて、21世紀の日本は分権の時代だと言われる。「地方自治の本旨」を第92条に規定する日本国憲法下においても、中央集権から地方への分権は遅々として進まなかった。1999年に地方分権一括法が制定され、21世紀となった今日まで、数次の分権改革一括法が相次いで成立してきた。これらにより、数百という単位の法律が改正され、かつて「三割自治」と揶揄された地方自治体の権限は確かに拡大してきた。

 しかしながら、この流れが、国家体制の効率化(スリム化)を超えて、真に地方の自治権を拡大し、主権者である住民の自治を保障するものとなりうるのかについて、私たちは懐疑的である。それは、今日、3.11福島第1原発過酷事故を経験しながら、被災地域住民の意思に反して、事故原因の究明も被曝防止対策も生活再建もおざなりであることひとつをとっても明らかではないか。原発立地住民はもとより、国民的な脱原発の声を顧みない原発再稼働が推進され、沖縄をはじめ全国の米軍基地の縮小撤去の民意は無視され、基地の拡大と機能強化が進んでいるのが現実である。これらは、国策の名の下で、依然として国家(中央政府)が事実上決定権を握り、地方の住民がその権力の下で忍従を強いられる構図は変わってはいないことを示している。さらには、閣議が、集団的自衛権行使容認へと憲法解釈を変更したことにより、私たち生活のすべての領域で、あらたな国家中心主義が強まる懸念さえ生じている。今日の「国と地方の役割分担論」で、こうした問題を解決できるとは思えない。

 そこで、私たちは、市民のすべての生活領域に関わるこれからの金沢のまちづくり構想として、「金沢国際地方政府宣言」を提案する。市民の共同する力で、住民自治に裏打ちされた地方政府を金沢に打ち立てよう。

  一般には、政府とは、国の政府を連想するだろう。しかし、そもそも、立憲主義の立場から政府の存在理由を突き詰めれば、「住民の基本的人権を具現化するため」に行き着く。日本国憲法では、国政を担う国会議員と共に、地方自治体の首長、議員も住民が直接選挙で選出するしくみになっており、地方自治にも、自己決定権を行使する政府があってしかるべきであろう。

 本源的に固有の権利である住民の基本的人権を具現化するには、住民に最も近い基礎自治体が政府性をもってその役割を果たすことが求められる。都道府県や国は、その不足を広域機能で補完する役割を負うが、あくまでもその関係は対等である。真の地方分権に奔走した佐藤栄佐久前福島県知事は、「住民にとっては中央も地方もない」と述べているが、そのあるべき対等性を主張したものと受け止めている。

 ところで、個人の尊厳を前提にして固有の基本的人権を明文化し、その実際的な保障・具現化を求めている先駆的な日本国憲法ではあるが、制定時の時代の制約もあって、地方分権やその発展としての地方政府については、必ずしも明文により詳述されているわけではない。なかでも、地方政府にとって要とも言うべき「自己決定権」「抵抗権」は、日本国憲法に含意されていると解釈できるとは言え、明文上の不十分さは否めない。そこで、私たちは、憲法第98条第2項によって遵守義務を負う国際人権規約(社会権規約、自由権規約)に明確な根拠を見いだす。その両規約のいずれにも第1条に「自決権」が置かれている。第二次世界大戦終結後の1948年、二度の世界大戦を教訓とし、世界の人民の自由と権利を保護し、平和を築くために、国連において、その基礎として世界人権宣言が採択された。さらに1966年に国際人権規約が締結された。その間の人権思想の深まりがそこに反映されている。「自決権」と「抵抗権」は言うまでもなく表裏の関係にある。

 私たちは、この金沢の地域に根ざした地方政府を構想するに当たり、日本国憲法と共に、国際人権規約等の国際条約の精神にも根拠を置き、その規範性の体現を目指す。

  それを市民が共同して実現させるために、私たちは「あらゆるものが見直されねばならない」と考えている。それは、私たちがあの「3.11」以後を生きているからに他ならない。

 

「金沢国際地方政府宣言」目 次

前 文                               

第 1章 私たち市民の歴史観 

~継承・克服すべき歴史~         

第 2章 平和のうちに生きる権利を保障する非戦平和都市金沢

~地方政府の平和・外交政策~ 

第 3章 人間の尊厳を守る人権福祉政策           

~差別なく、誰もが人間らしく生きられる福祉共生社会~ 

第 4章 学ぶ権利を保障する教育政策                         

~生涯にわたり市民として生きる力を~ 

第 5章 市民の創造参加を保障する文化政策               

~市民の文化的自己実現を~ 

第 6章 豊かな成長を支え合う子育て政策                 

~地域社会を人間の基礎を育む結いに~ 

第 7章 働く権利を保障する労働政策                     

~金沢にディーセントワークを~

第 8章 市民の自治を保障する市民協働政策               

~情報公開と市民参画、住民参加型予算制度~

第 9章 環境と共に「生きる」を支える産業・脱原発エネルギー政策 

~3.11以後の生き方・地域経済~                    

第10章 暮らしと共生を支える都市のしくみ               

~交通、住宅、都市インフラ、安全安心~

第 11章 国際地方政府としての金沢                          

~住民を守り、世界とつながる~

 第2章 誰もが平和のうちに生きられる非戦平和都市金沢

~地方政府の平和・外交政策~

  「平和なくして人権なし」「平和こそ最大の福祉なり」。近代化をアジア侵略の時代として送ってきた日本は、広範なアジア太平洋地域でおびただしい殺戮と破壊をほしいままにしたあげくに、310万人にも及ぶ国民を犠牲にして敗戦した。幸いにして金沢は戦禍を免れたが、アジア侵略の軍都であった。このことは、「市民の歴史観」でくわしく述べてきたが、その痛切な認識を原点に、地方政府としての平和・外交政策を構築し、非戦平和都市金沢を創造したい。

 平和憲法の下、金沢も1985年に「平和都市宣言」を採択し、7カ国の自治体と姉妹都市提携を結んで平和のための友好交流に努めてきた。これは市民の財産である。

 しかし、後に述べるように、不戦の誓いを危うくする「戦争をする国」への流れが加速している今日、より明確な意志を持った多面的で具体的な非戦平和施策が求められる情勢にある。戦後の財産を引き継ぎ、住民市民が主体となる「金沢国際地方政府」は、日本国憲法の前文に明記された「平和的生存権」を市民に保障し、戦争政策への協力を拒否する。同時に、世界人権宣言、金沢が創造都市ネットワークに加盟するユネスコ憲章などの国際規範を体現し、平和のための国際連帯を先導する。

  「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」

 この憲法第9条が、今日ほど危うい状況に陥ったことはない。それは言うまでもなく、2014年7月1日に、安倍内閣が、閣議で集団的自衛権行使容認へと憲法解釈を変更したことによる。敗戦から69年間、憲法施行から67年間、少なくとも、他国で武力を行使せず、直接戦争によってひとりも殺さず、殺されず、殺させずにきた平和国家日本が、戦争をする国に変貌しようとしている。

    この流れは、冷戦体制の崩壊後、アメリカ中心の新自由主義的グローバリズムが、「国際安全保障」の名で日米安保体制を世界的規模に拡大することを求める中で、日米ガイドライン改定と共に加速化してきた。内外で喧伝された「国際貢献論」の実態は、自衛隊の米軍との一体化と海外派兵を指向するものである。具体的には、周辺事態法、武力攻撃事態法、国民保護法などの有事立法であり、アフガニスタン対テロ戦争、イラク戦争への自衛隊派遣であった。この中で、自衛隊が後方支援の一環として米軍の兵員輸送をおこなったことは、名古屋高裁で憲法違反として確定している。にも拘わらず、それは今日、歴代政権自らが厳しく戒めてきた集団的自衛権の行使容認の解釈改憲に行き着く「積極的平和主義」へと引き継がれている。

 この背景には、退潮するアメリカに、米軍の補完軍事力として自衛隊を活用したいとの思惑があると共に、海外に権益を拡大してきた日本の財界にも自衛隊の海外展開を望む声があることを見落としてはならない。 

 また、安全保障上の国際環境の変化として、中国の海洋進出や軍事的台頭が脅威となっているとの意見がある。私たちは、いかなる国の軍事的拡張主義も覇権主義的外交も容認しない。しかし、あくまで、隣国中国とは歴史を踏まえた冷静な対話と、平和主義を国是とする日本にしかできないバランスある平和仲介外交で対処するべきである。決して、軍拡競争から抜けられない「安全保障のジレンマ」に陥ることがあってはならない。「武力で平和はつくれない」国家による武力行使では平和をつくれないことは、歴史の教訓である。よって、自治体こそが、非軍事平和解決の担い手であらねばならないのである。

 ところで、国内政治においては、この時代は、地方分権推進の時代と重なる。地方への権限委譲の必要性が叫ばれるにつれて、福祉をはじめとする民生分野は地方が担い、外交・安全保障は国の専管事項であるとの役割分担論が強調されてきた。実際に、地方分権一括法の中で、法定受託事務ばかりではなく自治事務においても、国が自治体に安全保障措置への協力を事実上強制できると読める法改正や自治体の関与権の剥奪が散見できる。

 国家に外交・安全保障を専管事項として委ねて、果たして自治体が、市民の平和のうちに生きる権利を保障することができるのか、歴史を洞察し、厳しく問い直す必要がある。

 とりわけ、私たちは銘記しておきたい。自治体には、平和憲法や地方自治法の基本理念、さらには国際人道法などの国際法に基づき、住民の平和的生存権保障のために抵抗する権利がある。具体的には、平和憲法の理念が具現化された土地の軍事利用禁止原則がある。また、非軍事平和利用の徹底を求める港湾法には自治体に許認可権を与えている。これらを駆使し、神戸市では、神戸市議会の議決により、核搭載艦の入港を拒否する「非核神戸方式」が今日まで機能している。

 また、ほとんどの自治体で、「非核平和都市宣言」が採択されてきた。これを理念や道義的宣言に止めず、藤沢市や苫小牧市のように法的拘束力を持たせる非核平和都市条例を制定した先駆的なとりくみに注目したい。このような自治体における立法権によって、有事法制下で万が一戦争に巻き込まれるようなことがあっても、それに参加協力せず、住民が戦火に見舞われることを防ぎ、平時から平和的な都市や地域社会づくりにとりくむ住民運動が広がってきた。

 それは、国際人道法であるジュネーヴ条約第1追加議定書第59条の「無防備地域宣言」に依拠し、違法な攻撃が禁止される無防備都市を条例によって実現させるものである。同追加議定書第59条は、「いかなる手段によっても紛争当事国が無防備地域を攻撃すること」を禁止し、その無防備地域に4つの条件をあげている。(a)すべての戦闘要員並びに移動兵器及び移動軍用設備は、撤去されていなければならない。(b)固定の軍用施設又は営造物を敵対目的に使用してはならない。(c)当局又は住民により、敵対行為がなされてはならない。(d)軍事行動を支援する活動が行われてはならない。

 また、同追加議定書は、軍民分離原則により被害が一般住民に及ばないようにすることや文化財の保護をも求めている。この国際条約に依拠する平和都市づくりは、一国内の平和のみを優先するものではなく、侵略や国際紛争の武力解決の否定により、戦争の違法化、世界平和の道に貢献しようとするものであることを肝に銘じておきたい。その責務はまさに平和憲法を持つ日本の責務である。憲法理念に合致する国際条約の遵守義務、平和的生存権や自治権を尊重する観点から、国はそれを自治体が主体的に実施することを積極的に肯定し、その条件整備に尽力すべきである。

 無防備都市の条例化運動は、国立市や箕面市をはじめ全国各地に拡大しており、住民の条例直接請求署名は、法定数を遙かに超え、制定こそ実現していないものの、議会提出までこぎ着けている。

 尚、私たちは、これらの住民運動の先達として、1973年川崎市が制定を試みた「川崎市都市憲章条例」案が、その第1章を「平和・市民主権・自治」と名付け、第1章「都市の平和」において、「平和権」「平和都市の建設」「国際都市連携」を掲げていることに平和を希求する住民自治の先駆性をみてきた。

 私たちが構想する「国際地方政府金沢」は、歴史文化都市であり、地政学上も歴史上もアジアに向き合う自治体として、1985年採択の「平和都市宣言」を発展させ、仮称「非戦平和条例」の制定を軸に、平和を先導する包括的で積極的な諸政策を実施する。それにより、東北アジアの平和連帯に自治体、住民として参画し、国境と民族を超えて誰もが平和のうちに生き、人間の尊厳を擁護発展させられる平和都市建設に邁進する。

 1.無防備地域宣言を含む仮称「非戦平和条例」制定、戦争非協力、市民の平和的生存権保障、アジアに開かれた平和連帯を推進する国際平和都市金沢の実現

2.姉妹都市交流を平和のための国際連帯事業として位置づけ

3.県内各大学、さらには国連大学オペレーションユニット、ユネスコ創造都市ネットワークなどとの連携により東アジアの姉妹友好都市蘇州市、全州市、イルクーツク市、大連市、さらには韓国禮山郡を結んだ近代史共同研究センターの設置、アジア共有の歴史認識の醸成

金沢版平和教育副読本を子どもたちに提供

4.ユネスコスクールネットワークを生かし、平和・人権・共生の教育を奨励

学校現場や地域社会での平和教育支援

5.各地域に遺る戦争遺跡・史跡の整備、地域での戦争体験の継承促進

6.平和市長会議への積極的参画

国際的に自治体が主導する核兵器廃絶のとりくみ推進、

仮称「非戦の自治体ネットワーク」を呼びかけ、中央政府の戦争政策に反対抵抗、市民の平和的生存権擁護

7.住民、市民の平和のための活動尊重、市民運動の交流と共同支援、公共施設、公共空間の開放