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森一敏
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 09 ユン・ボンギル共の会韓国禮山郡訪問報告
    〔2009年4月27日〜5月1日〕

 今年も4月27日から5月1日まで、韓国独立運動の英雄ユン・ボンギル(尹奉吉)(初訪韓報告参照)の義挙を記念する第36回祭享(さいきょう・祈念式典)に参加する韓国訪問を行いました。
 今回の訪問団は、盛本芳久県議を団長に、副団長宮下登詩子県議・社民党県連代表、同じく平田誠一市議、朴仁祚月進会日本支部長、そして団員として山本由起子市議、古河尚訓白山市議、細野祐治加賀市議、在日の金辰秀整体士、そして初参加の市民吉田さん家族三代(吉田ミヨ子さん、水沼洋子さん、水沼薫さん親子)、事務局長の私、計12人の訪問団です。

〔主な日程〕
4月27日(月)正午

         
         夕方
小松空港発 大韓航空便 ソウル特別市仁川(インチョン)国際空港着。「剛の家」手配のジャンボタクシーでソウル市内孝昌公園内の尹奉吉義士墓所を訪れ、墓参。
ソウル駅から新幹線KTXで東大邱駅へ。
          夜  貸し切りマイクロバスでスイス・ローゼンホテルへ向かう。慶州郊外の食堂で夕食。同ホテル泊。
4月28日(火)午前 朝食後、慶州世界遺産視察。仏国寺、石窟庵、古墳公園
         午後 武烈王陵、五陵、国立慶州博物館、エミレの鐘参観。
禮山郡へ移動。
          夜 権国相議会議長主催歓迎宴。
文化祭典「アジア音楽祭」参加団体、中国ハルピン市、モンゴルの音楽集団も参加。
4月29日(水)午前 忠義祠で祭享参列
本部行事で盛本芳久訪問団長が代表あいさつ。
         午後 禮山郡内パプリカ水耕栽培農場、ヤンバンの家、郡立秋史先生資料館参観。
          夜 禮山郡崔昇佑郡守主催の歓迎宴。山出保市長親書読み上げ。
李鎮子郡議、李光壽、崔銀淑夫妻が二次会を招待。
4月30日(木)6時 禮山郡からバスでソウル市内明洞のロッテ広場へ。宮下県議、細野加賀市議は仁川国際空港へ。
         午前 ロッテホテルから非武装地帯ツアー出発。
         午後 統一展望台、非武装地帯、板門店南北会議場、帰らざる橋等視察。
          夜 李柱應ソウル月進会副会長主催の夕食会。剛の家泊。
5月1日(金) 午前 仁川国際空港で出国審査。大韓航空便で小松空港へ。小松空港で新型インフルエンザ検疫。入国審査。解団。
 
〔27日〕
 一年ぶりの韓国の大地です。ひんやりした空気が清々しい日です。
 まず、ソウル孝昌公園にある国立墓苑に出向いて、日韓の平和を祈って尹奉吉義士に黙祷を捧げました。今年も盛本県議が師範の腕前で墓前演奏を披露しました。ソウル月進会副会長の総合商社社長李柱應さんが、「わざわざここまで来ていただいてありがとうございます。」と感謝の言葉を述べられました。いえ、お世話になっているのは、いつも我々なのです。
 尹奉吉義士を敬愛する気持ちが私たちへの丁重なる対応に なって表れるのです。初参加の三人のご家族も、多少とまどいながらも、歴史の受け止めにある世界の違いに関心深げです。
 今回の訪韓でのソウル滞在に関しては、朴さんのつてで、日本が大好きでペンネームを日本人名「小川剛」と名乗り、市内中心部で民宿「剛の家」を経営する小川剛さんがいろいろと手配をしてくれました。
 孝昌公園での墓参を終えて、私たちは韓国随一の景勝地であり、世界文化遺産をもつ古都慶州へ向かいました。移動は新幹線KTXです。着いた宿は、スイス・ローゼンホテル。名前とは正反対に、どうもここはラブホテルに類するお宿のようで、部屋はWベッド!盛本さんとさすがに仲良くベッドインというわけにはいかず、布団をしくオンドル部屋に替えてもらいました。一行も皆そんなハプニングに遭いつつ、明日の新羅の古都慶州の歴史遺産視察に備えました。

〔28日〕
 好天に恵まれて、新羅の古都慶州の歴史遺産を巡りました。最初の仏国寺は、千数百年の歴史があるのですが、秀吉の朝鮮侵略の際、焼き討ちされたのです。ガイドさんは、「焼かれた」とは言いますが、誰にやられたかは言わないのです。尹奉吉義士参拝団への配慮だと思います。このような形で日韓交流史に思いを馳せました。
 仏国寺には世界遺産の石窟庵があります。山道を10分ほど登ると、そこに周りを後から覆いを施した釈迦如来像が鎮座しています。白色の花崗岩を掘り出した気品ある石仏です。道すがら、本当に大勢の修学旅行生(小学生、中学生)とすれ違いました。このシーズン、韓国では修学旅行が集中するようです。受験熱を伺わせて多くがめがねをかけた小学生が、儒教文化を引くのか男女別に並んで、でも、表情は現代っ子で、先生のかけ声に唱和を繰り返しながらわいわいとにぎやかに長蛇の列をつくっていました。
 仏国寺本体は、ところどころ修復の工事が施されていました。一番の歴史遺産である石階段の説明を受け、建造物に込められた意味に深く納得したのです。
 仏国寺を後にした私たちは、バスに揺られ、古墳公園を横切り、近くの食堂で韓国ビビンバの昼食をとりました。午後は、武烈王陵公園、そして五陵公園、そして国立慶州博物館を順に視察しました。団員金さんは、先祖が慶州出身の王族ということで、しきりに系譜の話で盛り上がりました。ヤンバンであった金さん一族が、日本にやってきたのも、植民地支配の歴史なのです。どの古墳公園も、きれいに雑草が取り除かれた芝生が美しく、先祖を大切にする韓国のお国柄だと、朴さんがしきりに自慢しました。
 慶州博物館の敷地には、国宝エミレの鐘が屋外展示されていました。野田山の暗葬之跡に朴さんがミニチュアを下げています。エミレの鐘には、鐘の音が出るように幼女を坩堝(るつぼ)に生け贄に投げ込んだという伝説があり、その音は、女の子がお母さんお母さんと鳴く声だと言い伝えられています。私は、土産物屋さんでつい、このエミレの鐘のレプリカを買ってしまいました。
(余談ですが、今、我が家の玄関で哀切な音色をたてています。)

 慶州での歴史視察を終え、14:30頃、私たちは、そのままバスに揺られて、禮山郡へと一直線に向かいました。そして、4時間後、禮山郡のいつもの徳山温泉ホテルに到着しました。すぐさま、祭享の関連イヴェントである文化祭典「アジア音楽祭」に招かれたモンゴル、中国ハルピンの音楽団とともに、郡議会主催の歓迎宴に列席しました。権國相議長、昨年来沢された李鎮子郡議他郡議団から熱烈歓迎を受け、お元気な様子の尹圭相月進会会長、月進会の方々、通訳の小川てるよさんと再会を喜び合いました。
 禮山郡は、2012年と記憶していますが、忠清南道の新しい道庁所在地の新都市建設の中核地域にあり、尹奉吉義士ゆかりの上海だけではなく、植民地時代に中国東北地方で抑圧をうけていたハルピン市とも関係を模索しているようでした。東アジアの平和構想を自治体が主導する。そんな遠大な理想を義士の義挙精神に投影しているのです。
〔29日〕
 第36回祭享の朝です。10時、尹奉吉義士を祀る忠義祠では、崔郡守、尹会長が宮廷装束に身を包み、祭享の始まりを宣言します。李明博大統領からの献花が供えられ、遺族代表の今年は孫娘さんが献花、彼を讃える歌の合唱、宮廷雅楽の伴奏、そして参列者による献花と式典は15分程度で終了します。
 道出身の前国会議員や政府レベルの要人、大学の研究者なども参列し、私たちも握手と名刺交換をしながら、友好を誓い合います。朴さんの促しで、私たち一行と義士の孫娘、親族と記念撮影に収まりました。
 祭享が終わると、島中島の特設ステージで、本部行事に移動です。時間の合間に、忠義祠下にある尹奉吉義士紀念館を参観し、初参加の吉田さん一家には、義挙にまつわる近代史を概観して頂きました。お三方とも熱心に展示物を観られ、新しい歴史の見方に感慨を深められたようでした。

 真昼時の炎天の下、本部行事では、来賓のあいさつが続き、我々訪問団からは代表して盛本団長が、野田山の史跡を大切に守り、末永い平和と友好交流を誓う簡潔なあいさつが述べられました。毎年のこの瞬間が、金沢市民である私たちと、禮山郡の一般市民との思いの交換の積み重ねなのです。教科書問題があろうと、領土問題があろうと、この信頼感は、損なわれることはありません。
 ところで、特筆すべきは、この本部行事で、月進会の会長職が、李佑宰元ソウル選出国会議員(馬事会会長)に引き継がれることが宣言されたことです。昨年の式典で、尹圭相会長が引退を公言しながら、昨年の来訪からここまで会長として職務を継続してきましたから、いよいよかと時代の変わり目を感じました。尹圭相会長は、この祭享や本部行事を創設し、尹奉吉義士に関する調査研究を続け、それを市民に啓発する偉大な足跡を30数年間にわたって成し遂げてこられた人です。高校教師として政財界の人材を輩出し、人徳は、歴代郡守のそれをも上回ると言われる禮山郡名士であり続けた人でもあります。後を引き継ぐ李佑宰新会長は、昨年の金沢来訪団に団長として参加され、社会民主主義者であることを表明されて、お酒を酌み交わしながら、アジアの平和について熱っぽく語り合わせて頂きました。人物に不足のあろうはずがありません。
 
 午後は、私たちの要望を入れて、農業の町禮山郡で最も近代的な野菜工場、つまりパプリカの水耕栽培工場を見学しました。広さは忘れましたが、金沢では観られないほどの規模のハウスは、国道郡がそれぞれ投資額の半分を補助し、営農補助も出ているとのことです。近所の12人の女性主体の農業労働者により、年商1000億ウォン(約80億円!)を稼ぎ出しているそうです。しかも、その半数は、日本向け輸出です。ハウスは、コンピューター制御で水、肥料、温度管理がされるハウスを飛び越えた超近代的な水耕工場ともいうべきものでした。無農薬有機栽培、受粉はハウス内に昆虫がいて自然受粉。試食したパプリカは瑞々しく、日本市場で評価を高めていることもうなずけました。リンゴの名産地禮山郡に、このような生産拠点があることは初めて知りました。産業や行政交流という課題を意識させられる予期せぬ視察の機会を得ました。
 次に、ヤンバンで書の大家と尊敬される金政喜(秋史先生)の保存された自宅と資料館を参観しました。

 禮山に戻った夕方からは、文化祭典「アジア音楽祭」への参加です。今年は、和太鼓も三味線も伴ってはいませんが、盛本県議の尺八演奏が恒例として急遽要請されました。祭典は、ご存じ李光壽院長率いる民族音楽院が主導します。脱北者女性たちと伝え聞く合唱団のオープニングに続いて、民族音楽院が演奏しました。平和を祈る李光壽院長のピナリ、そして、民族音楽院のサムルノリは、いつにも増して気合いが感じられ、力強く情念がこもったリズムの饗宴に、私たちも熱くなりました。例年よりもあっさりと祭典が終演を迎えると、夜空に見事な連発花火が打ち上げられました。

 閉会後、会場をロッテ系の新しいホテルスパ・キャッスルに移し、郡守主催の歓迎交流宴が盛大に催されました。ここでも崔郡守から尹圭相会長の業績を称え、感謝するあいさつが述べられました。金沢からは、山出市長の親書を読み上げ、懸案であった永代使用許可の報告が為されました。盛り上がった気分のまま、朴さんが韓国民謡を熱唱するという一幕もあり、興奮は二次会に持ち越されました。李鎮子議員が、昨年金沢での接待に感激した、そのお返しにと、李光壽夫妻とセットされた二次会でした。翌日一足早く帰国の途に着く宮下県議、細野加賀市議、そして朴さん以外は二次会に出席し、カラオケに興じながら、友情を深めました。熱烈な韓流ファンである水沼洋子さんは、李光壽さんとのスナップに痛くご満悦。ミヨ子さんの粋なチークに一同感動がはじけました。再会を約束しながら、名残惜しいひとときを閉じました。
 李鎮子議員からいただいたリンゴを部屋に戻って早速食してみました。日本で流通している国産リンゴと遜色はなく、シェアの問題もありますが、農業交流に乗せられる水準と再認識しました。

〔30日〕
 今年も熱烈歓迎を受け、友情と共にアジアの平和構築のパートナーとして期待をかけて下さる禮山郡から、バスでソウルへと出発しました。朝6時という早い時間ながら、尹圭相会長が見送りに出られました。また、昨年来訪された大韓民国芸術鳶(凧)協会副会長の李昌錫さんから、これも感謝の気持ちと、百万石まつりをあしらった特製の凧が、7人分額入りでプレゼントされました。山のようなお土産を積み込んで、禮山郡を後にしました。バスには、いつも献身的に私たちをお世話して下さる二人の月進会員(ひとりはカンさん)が乗り込み、細かいところまで気を遣って下さいました。昨夜の交流宴では、この方々にもお酒をつぎに行って、感謝の気持ちをお伝えしました。

 バスは、私たちを明洞のロッテ広場で降ろし、宮下さんと細野さんを仁川空港まで送り届けに走り去りました。二人の月進会員さんに感謝と再会を込めて手を振りました。
 私たちは、荷物を「剛の家」に送り、最後の日程である非武装地帯・板門店視察に向かいました。
 私は、四年ぶりでしょうか。旅行会社によって途中のコースが違っています。これまで立ち寄った自由の橋は通らず、替わりに統一展望台を経由しました。また、昼食は国連軍キャンプ内ではなく、韓国側の一般の食堂でありました。脱北者の説明員、食堂での脱北者青年による歌唱がついて、拉致問題を意識する日本人向けのメニューでありました。彼らが脱北者だとすると、演出と同時に脱北者の生計の一助として組まれているのかと推察します。
 ところで、ミサイル打ち上げと騒がれ、日本も安保理議長声明で手をうった形ですが、南北分断の最前線はこれまでと変わったことはありませんでした。会議場にも入り、写真撮影もこれまで通りでした。取り立てて緊張感の感じられない板門店でありました。ツアーはほとんど日本人でしたが、朝鮮戦争の発端に植民地支配があったことを意識しながら、ツアーに参加した日本人はどれだけいたでしょうか。
 夜は、ソウル月進会の李柱應副会長にまた、お世話になりました。彼には、一度金沢への来訪を強く招待しました。李佑宰新会長とは姻戚関係があるそうで、禮山郡月進会とソウル月進会との関係改善、連携強化の機会が訪れるかもしれません。
 
〔5月1日〕
 我々の大きな荷物も手際よくまとめてくれた親切な「剛の家」。合宿生活を久しぶりに経験するようなお宿でしたが、たいへんリーズナブル。そしてソウル中心部。なにより、ホスピタリティ溢れる剛青年の接遇はイチオシです。若い剛さん夫婦とお別れし、ジャンボタクシー二台に分乗して空港へ向かいました。訪韓中からメキシコで発生した豚由来の新型インフルエンザの騒動があって、帰国が危ぶまれる事態も心配しましたが、仁川国際空港はいつもと変わらない出国審査でした。
 着陸した小松空港は、いつもとは違っていて、入国の際の健康チェックリストを渡され、サーモカメラの前でひとりひとりチェックして入国させるという念の入れようでした。この温度差は何か。パンデミックなどという事態に発展しないことを祈ります。

 
 こうして、また新たな参加者を得て、有意義な友好交流の旅を無事に終えることが出来ました。コーディネートに寝食を忘れた朴さん、禮山で心をかけて下さったすべての関係者の皆さん、ソウルでお世話になった方々に、心より感謝を申し上げます。


では、以下、09訪韓の一こまをお伝えしていきます。
ソウル孝昌公園の国立墓苑。尹奉吉義士の墓前で盛本団長が追悼の尺八演奏く。 (4月27日) 団が献花した尹奉吉義士の墓 初参加の吉田さん家族に朴さんが李副会長を紹介。
慶州へ向かう新幹線KTXの列車内              (27日夕刻) 慶州での宿スイス・ローゼンホテル。(28日朝) 仏国寺石窟庵の前で参観者集合。              (28日午前)
仏国寺は修学旅行生で一杯!
              (28日午前)
世界遺産仏国寺の石段。
              (28日午前)
この表示が絶大な威力
慶州博物館に展示されているエミレの鐘本物参観。(28日午後) 天馬陵を参観する修学旅行生たち
              (28日午後)
禮山郡では、議会主催の歓迎宴。
               (28日夜)
権國相議長が歓迎あいさつ。  紹介される尹圭相会長。 水沼さんも新しい世界との出会い。
祭享に臨む訪問団。(29日午前) 忠義祠で祭享が始まる 宮廷雅楽が伴奏。
献花。手前に李明博大統領がら贈られた花輪。 近年目立つ再現ものの展示。日本時代の抗日運動家への拷問器具。 宣誓書を下げて、尹奉吉義士の決起を追体験
かつて訪問団が植樹した松が梅軒紀念館前で立派に育っている。 特設ステージで本部行事が始まる。 晴天でじりじりと暑い。参列する訪問団。
盛本団長が代表あいさつ。 昼のステージでは、上海爆弾事件を再現する演劇が上演される。 梅軒紀念館前で高齢の地元女性が愛想良く手製の草餅を奨めてくれる。日本語をよく憶えておられた。
農業が基幹産業の禮山郡。白菜、ほうれん草といった葉物野菜のハウスが並んでいる。(29日午後) ほうれん草の収穫に汗を流す農業者。 視察に訪れたパプリカ水耕農場には、カタカナで「パプリカ」と段ボール箱に印字されている。日本への輸出商品だ。
夥しい数の水耕栽培のパプリカ。 赤や黄色の実がたわわに実っている。 ヤンバンの家。ヤンバンにだけ許された門構え。
男子禁制の女性の棟。姑と妻が暮らす。 アジア音楽祭の開幕。脱北者による合唱・舞踊団と聞く。(29日夜) 名手李光壽のピナリで第二部開始。
楽長李栄光の妙技。 サムルノリも熱を帯びる。 団員が一体化してリズムが炸裂。舞台は最高潮に!
李光壽院長のケンガリに乗って、民族音楽院のメンバーも燃える。 ハルピン市から音楽集団がやってきた。 モンゴルからは民族舞踊も披露。
今や定番となった盛本師範のアリラン。 李光壽の指揮でフィナーレのコラボレーション! 今年も花火が有終の美を飾った。
崔郡守主催の歓迎交流宴。
              (29日深夜)
崔郡守の歓迎あいさつ。 郡守から讃えられる尹圭相会長。
次期月進会会長に決まった李佑宰全国馬事会長が紹介される。 尹圭相会長が答礼あいさつ。 司会者を務めた忠南音楽協会長のさんが、見事にパンフルートを演奏。
李光壽、崔銀淑夫妻。 再び盛本師範の「春の海」 ハルピンのフルーティスト。
モンゴルの二人。指笛に民謡。 私も憲法9条ならぬ第9のさわりを。 ハルピンの研究者さんは、舞踊家でもありました。
パクさんもテンション高く、滅多に披露しないお国の民謡を熱唱。 李鎮子議員がセットした二次会で、古河さんが崔銀淑夫人とデュエット。これが百点満点! 吉田さんが崔夫人と粋なチークダンス。
山本市議も何と百点満点!! いぶし銀の「花」。平田副団長の熱唱を李院長がサポート。 李鎮子議員と。
李鎮子議員と水沼薫さん。 水沼洋子さんと金さんの息のあったデュエット。団員はうち解けた。 かかあ天下の李夫妻
名残惜しいフィナーレ。 統一展望台にある北朝鮮の学校再現。 朝鮮民主主義人民共和国の政府施設。兵士が監視中。
板門店の南北会議場。国連軍兵士とスナップに収まるいつもの風景。 共和国ケソンの方角。 共和国の宣伝村。

〔これまでの訪問・平和友好交流の軌跡は以下からどうぞ。〕
 03年10月の初訪韓05年の訪韓から禮山郡守、趙議員の来沢06年4月の太鼓文化交流訪問07年の平和友好交流訪問編同来訪編08年生誕百年記念訪韓編
                     (09.5.6記)

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