10月14日、15日と、七尾市で第66次石川県教育研究集会。「教え子を再び戦場に送るな」「平和を守り、真実をつらぬく民主教育」今ほどこれらスローガンが切実さを感じる時はない。
全国学力テストは最悪の人権侵害と言い切った
14日全体集会では、「みんなの学校」大空小学校の元校長木村泰子さんが記念講演。
みんなの学校は、どんなひとりにも居場所がある。障がいがあるなし関係なく、互いのことをとことん考える。そこに安心して居られる人間の関係が紡がれていく。そのために、子どもを変えるのではなく教師が変わる。その姿がドキュメンタリーで流された。
「特別な支援が欲しければ、特別支援学校、特別支援学級に行きなさい。」こう言う校長は、その子の人生に何がやれるのだろう。囲うことは排除する差別だ。その側には立つまいと、どんな子にもあなたが大事と迫っていく。
木村さんは、ここでも言い切った。「特別支援教育は、インクルーシブ教育の真逆のものだ。」
石川県は、学力テストで一番だそうですねと、皮肉交じりに切り出した。誰が喜んでいますかねと、評価の構図をあてこする。地教委には耳が痛かろう。障がいのある子を排除し、子どもを鋳型にはめて優劣を競わせる。これは最悪の人権侵害ではないか、校長として、テスト対策はさせなかった。それは、子どもたちにもっと大事な教育活動があるとの信念からだ。
当然、橋下市政との対決がある。だが、子どもたちの姿がその勝負に必ず勝たせてくれる。その8年間は奇跡ではなく、当たり前を貫く覚悟が生み出した普通の学校だ。これが奇跡となれば、他に学校はないことになる。子どもと過ごす者は皆、この実践に触れなければならない。
教研のいのちは実践討議
石川県教育研究集会二日目15日は、分科会に場を移し、教育実践のレポート討議が行われた。教科別、あるいは問題別に20数分科会にレポーターが分かれ、この一年間の教育実践を報告討議した。
私は、教員当時から一貫して平和教育分科会で活動してきた。以来25年共同研究者として討議に加わってきた。
平和教育こそ、戦後の平和憲法体制を象徴する教育領域だが、平和憲法を持つ日本でありながら、政府から最も疎んじられてきた。ここに、戦後日本の根本矛盾がある。ここに集う教職員は、時に行政権力から抑圧の対象にすらなりながら、かつて、教え子を戦場に送り出した戦争加担を痛切に悔い、再び加担者にならず、子どもたちの側に立ち、自由精神と反戦意識を養う謂わばたたかいの現場を引き継いできた。
今回も、多忙化と管理強化の下で悩み試行錯誤を繰り返した子どもたちとの学びの軌跡が9本のレポートになった。特徴は、青年教職員が、自らの戦争を知らない世代としての力量不足を意識しながら、どんな歴史事実に出会わせるか、学ぶ目的を何に求めるべきか、率直に意見が交わされたことだ。その姿勢は真摯であった。
戦争を知らない最先端世代の子どもたちは、歴史の事実をや世界の現実に心を揺さぶられ、意識が変容していく。望む平和の内実を真剣に見つめていく。それを誘うのは、全人格をかけた教職員の生きざまでなければならない。
今回出色の実践は、戦争が無くなることを願いながら、それが実現されない世界の現実を前に、それでも武力に頼らず平和をつくりだすために、自分に何ができるか考えさせた実践だ。普通の国の武装平和、戦争で辛うじて生きられる子ども兵士の存在を知らせながら、それでも子どもたちは、武力に頼らず平和を実現することを支持していく。
改憲路線が加速する中、意思表示の当事者になる子どもたちに、いかなる判断力を培うか、戦前の轍を繰り返さない覚悟はあるかと、互いに問いかける分科会討議だった。