一向一揆所縁のフィールドワーク

3市民の政策研究会「くるま座」が明日にかけて一向一揆所縁のフィールドワーク

 10月9日~10日、市民の政策研究会「くるま座」が明日にかけて一向一揆所縁のフィールドワークを行った。私たちは、「金沢国際地方政府宣言」に自治の源流として加賀一向一揆を位置付けた。座員念願の泊付きツアーがようやく実現した。まずは、急峻な登りに高尾城址。この後、鳥越城址、蓮台寺跡、吉崎御坊へと向かった。

2    午前中は、高尾城址から、鶴来清沢願得寺石碑、鳥越一向一揆歴史館。「百姓の持ちたる国」清沢願得寺の蓮如十男実悟の遺した語だが、現代の感覚では間違う。百姓とは半武半農の武装農民である。(半沢英一講師)
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一向一揆の里
12 フィールドワーク午後は、加賀一向一揆発祥の地(文明一揆)蓮台寺城址。守護富樫の内紛で政親に付いて幸千代を加賀から放逐。後に一向一揆は高尾城を攻め、政親をも自害に追い込んだ。(長享一揆)
 この蓮台寺城址は、地元の研究会が案内板を建て、城址の紹介に努めてあった。用水開発時の悲しい歴史も掲げられていた。
 そして、蓮如が北陸布教の根拠地とした吉崎御坊を巡った。文明一揆を叱った蓮如の御文が展示されていた。政治闘争に与するのを嫌って、蓮如は吉崎御坊を去る。
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フィールドワーク二日目は、一向一揆が戦国大名長尾氏を討った古戦場跡からスタートした。後の謙信・景虎の父為26景塚とされているが、史実では、この栴檀野で討ち死にしたのは、祖父の能景。伝承には誤伝もある。慎重な史料考察が必要。(半沢講師)こうして砺波路を行く。

一向一揆と五箇山
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フィールドワークは、加賀一向一揆の後背地とも言える五箇山を訪ねた。
 道すがら、越中一向一揆の拠点だった井波瑞泉寺の旧跡を訪ね、最終的に前田利家によって滅ぼされたことを確認した。土塁が築かれた旧跡には、湧水伝説の地も残されている。
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    そしてメインとも言うべき五箇山赤尾道宗ゆかりのニ寺を現在金沢教務所教導高桑敬和さんの案内を受けて訪ねた。
40 まずは、蓮如愛弟子で、赤尾集落の門徒衆に慕われる赤尾道宗が生まれた道善寺。現在の住職平瀬道選さんに招き入れられ、蓮如の真筆の御文、道宗木像、道宗火鉢献上岩、夢告の小池などを参観した。
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41 続いて、行徳寺。親鸞750回忌を昨日終えた先代住職が、道宗の生い立ち、蓮如への心服について説明された。寺宝の道宗木像なども参観した。
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 漆谷道場には、石山合戦に加勢する一向一揆衆が血染めになぞった蓮如真筆四竿を拝観した。戦国末期、戦国武将の天下統一に命懸けで抵抗した一向一揆衆の心が、450年の時を超えて迫ってくる。
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 こうして、ツアーは加越国境砂子坂の善徳寺発祥の地と光徳寺たたら場(金属精製場)跡に立ち寄って、二日間のフィールドワークを終えた。
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 今回のフィールドワークでは、五箇山の道善寺平瀬道選住職、行徳寺前住職、そして道場守高原さんに寺宝を快く開陳して頂けた。これには、金沢東別院教務所教導の高桑敬和さんのお口添えがあってのことだった。深く感謝したい。勿論、講師の半沢英一さん、ドライバーの大谷内大樹さんに深く感謝。

フェイスブックに寄せられたコメント

鶴園 裕鶴園 裕 そうか、半沢歴史学の面目躍如ですね。金沢百万石まつりなど、クソクラエです。まあ、金沢市会議員の森さんには、そんな過激発言は不可能でしょうが、、、。

森 かずとし森 かずとし いえいえ、本会議、特別委員会で数回、金沢の起源に一向一揆の歴史を位置付けよと質問しています。特別委員会報告もまとめています。

尾形 正宏尾形 正宏 石川県民なのに詳しいこと知らないもんなあ。他県に出かけている場合ではない…そうそう,今回,郡上一揆の場所に行って来ました。これもすごい戦いだったようです。

Kiyomi HiroseKiyomi Hirose この一向一揆の意義づけをする試み、ぜひ、お願いします。おなじように、明治のこの地の廃仏毀釈など。おなじように、明治のこの地の廃仏毀釈など。石川県は、すっぽり、民衆史が抜け落ちています。もうこれは、変質された価値観しか残さないという意図しか感じません。僕はそれがすごく悔しく感じています。
郷土史家の方じゃなく、中央で、しっかりやられてる学術者の方との意見交換もお願いします。よろしく、お願いします。

森 かずとし森 かずとし 関心を寄せてくださりありがとうございます。私たちが金沢国際地方政府宣言を起草した際、市民の歴史観を章立てし、自治の源流に加賀一向一揆を位置付けました。これまでには、市議会の特別委員会で一向一揆の再評価を提言したり、市議会議会基本条例の前文に盛り込んだり、私なりに提起してきたことでもあります。地元研究者や中央の有識者からも意見を求めてきました。ただ、文献だけではなく、現地視察し、一向一揆の流れをくむ宗教者に面会し、歴史的な遺物の数々を直接見せて頂けたのは、大きなことでした。過大評価は戒めなければなりま・・・

鶴園 裕鶴園 裕 韓国語でも『百姓』(백성)という単語があり、意味は人民一般、民衆という語感に近い言葉です。日本語の百姓が「お百姓さん」というような表現で農民だけをさすようになったのは、士農工商の社会的分業が明確になる江戸時代の近世以降です。ですから中世では武装農民であったり、刀鍛冶の工人が武器を取ったりするのは、当然のことだったのです。そのあたり、本当は社会科などの歴史を教える小・中の公教育あたりでもちゃんと教えるべきことでしょうね。

森 かずとし森 かずとし そうですね。刀狩りがなぜ必要だったのか てますね。