報告 平和連帯のための韓国自治体等訪問

 今日は2020年4月26日。例年なら、韓国平和友好訪問団を編成し、韓国の平和を愛する人々と平和のための連帯を共に共有する活動の時期です。しかしながら、新型コロナウイルス感染拡大のために、それが叶いません。
 そこで、昨年11月に私が平和のための自治体間・市民間連帯を求めた韓国訪問の報告を掲載します。韓国の地を踏むことはできませんが、思いはいつもつながっています。民族の違い国家の違いを超えて、アジアの友人が平和のために連帯する輪を広げていきましょう。

報告 平和連帯のための韓国自治体等訪問  
    ~三年ぶりに単身で訪韓~(11月19日~23日)

「元徴用工」判決をめぐり日韓がギクシャクする今だからこそと、ソウルにやってきた。

洪文杓国会議員表敬訪問・韓国国会議員会館事務所
月進会李佑宰名誉会長、小川哲代理事等と会食・ソウル明洞
文喜相国会議長表敬訪問・韓国国会議長室
臨時政府記念事業会・ソウル月進会との意見交換・ソウル月進会事務所
黄善奉禮山郡守、李スング禮山郡議長との会談
百済文化の地唐津、百済復興戦争白村江の史跡探訪
洪萬杓忠清南道通商課員との懇談
月進会全州支部総会で講演、全州市議会表敬訪問(議長、副議長ほか4議員と懇談)

■平和のための日韓連帯 農業交流から ―11月19日―

 11月19日、初めて降りた金浦空港に、尹奉吉義士韓国月進会李佑宰名誉会長が、禮山郡から駆けつけてくれた小川理事と共に出迎えてくれた。今回は、全州市での講演のための原稿を携えてきた。
 そのまま地下鉄を乗り継いで、国会議員議員会館へ。2011年春、山出元市長夫妻を伴い、尹奉吉義士義挙80周年を記念する尹奉吉展オープニングに参列した。あの時テープカットに臨んだ国会議事堂が見える。忠清南道選出の国会議員洪文ピョウさんの国会事務所にノーチェックで通される。

 毎年禮山郡尹奉吉義士祝祭の会場で握手を交わしてきた洪議員と初めて会談。金沢野田山の暗葬之跡を永代使用申請する際、永代使用料を寄付した韓国農漁村公社の社長であった人だ。彼は、金沢での活動をよくご存知で、訪問に謝意を述べられた。

交わした意見の主旨

 尹奉吉義士共の会をはじめ平和連帯を求めてきた私たちの歴史認識。植民地支配の歴史には申し訳ないとの思い。事実継承の責任。元徴用工判決は当然の判断。対立を乗り越え途絶えた交流をもう一段高めたい。

洪議員は、肥沃な忠清南道を代弁する農業政策通の人。食糧農業課題から経済交流を行えないかとの提案があった。

そうだ、尹奉吉は村人のために農業読本を書き、生命倉庫の考えを広めた人だ。命の連帯は追求する価値がある。

韓国民衆は第二の植民地支配と闘っている11月20日―

 そう誤解を恐れずに言う。そして、歴代政権の良識が築いてきた信頼を破壊したのは安倍政治。韓国市民はこれに異議を申し立てている。

早朝韓国国会を訪問。文喜相(ムン・ヒサン)国会議長を表敬した。

 この特別な図らいは、議長が月進会李泰馥( イ・テボク)会長の民主化闘争の同志であったことから実現した。

 韓国国会には、大韓民国臨時憲章が掲げられている。抗日地下組織である臨時政府が樹立されて100年の記念年が今年だ。近代史はイコール日本からの独立闘争の歴史であったこと、そのいかに大きなことかが、この地に立ち実感する。インターネット時代、憲章は簡単に検索できよう。

 文国会議長は、何かと物議を醸す発言が話題になる方だが、野田山の暗葬之跡に立ち寄った経験があるそうだ。しかも、森 喜朗元総理と。驚いた。文議長は、金沢での私たちの活動に謝意を述べ、先日の早稲田大学での特別講演の原稿を下さった。ここに私の考えがすべてありますからと。これは金沢に持ち帰り、後日報告することとなった。

■昼の時間は、月進会ソウル事務所を訪問。臨時政府紀念事業会との意見交換会。歴戦の強者たち・大先輩が、これからのアジアの融和について口角泡飛ばして語る。特に北朝鮮をいかに友好の輪に引き入れていくか、その戦略がアジアの連帯市民運動として動いているという。東京オリパラが北排除の安倍日本にとり、将来を分けることになろうと。皆さん、世界の当事者たる自意識が凄い。

■その後私たちは禮山郡に向かう道すがら、独立紀念館を尋ねた。常駐職に強化された初代所長シン・ユバクさんが迎えてくれた。
 12月21日金沢で開く平和のための日韓連帯・市民のつどいに、私たちは、独立運動史研究所の尹素英研究部長を講師に招請している。直接の打ち合わせだ。田村光彰新刊著『抵抗者ゲオルク・エルガーと尹奉吉』に強い関心が寄せられ、金沢での再会を約して辞した。

■禮山郡へ

 今や大親友となった趙起徳元禮山郡議員が、この天安から、私たちをエスコート。
 待ち構える禮山郡の懐かしい方々。金沢訪問から6年という女性たちが、ブルーベリー農家李ハンドゥさんの食堂で大歓待の準備を昨日から整えて迎えてくれたと聞いた。
 笑顔笑顔笑顔。月進会舞踊団。李光壽・銀淑夫妻との抱擁。この歓待は、金沢で共に交流に献身してきた仲間たちを代表する形で私に与えられるもの。ただただ、頭を下げるばかりだ。

 

 


百済・忠清南道・禮山郡そして日本 ―11月21日―

■尹奉吉義士の生地禮山郡。黄善奉郡守(首長)、李スング議長に表敬。国家間の問題があろうとも、私たちの交流は止むことはない。よく来てくれたと、温かい歓迎を受けた。

  禮山郡か取り組むコウノトリ繁殖・環境農業が、交流の舞台を創り出すのではないかと展望も意見交換した。「生命倉庫」とは尹奉吉思想だ。
 折り良くユン・ボンギル体育館では、韓国相撲の国際大会が開かれている。議長の計らいでしばし会場に立ち寄った。元韓国相撲横綱の李ボンゴンさんとのスナップの機会を得た。大きい‼︎

■今日一番の収穫は、百済復興戦争の戦跡をフィールドワークしたことだ。

 白村江の戦いに、なぜほとんど戦死する10000人もの兵士を日本が送ったのか? それは「故郷を助けに行こう」ということであった。」忠清南道内浦地区古代文化研究院朴泰信さんがこう力説した。
    朴さんは記紀神話の記述を元に丹念に現場を歩き、今は埋め立てられた入江に打ち寄せられた遺体の塚のありかや、白村江の場所の割り出しに親子二代にわたり取り組んできた。
 その交流史の原点に戻れば、対立を解く鍵を見出せるかもしれない。私は、一衣帯水という中国の言葉を思い起こす。
  
 

禮山・全州・金沢のトライアングルから 11月22日

 最終日程の今日22日は、全州市ディ。早朝、趙起徳さんの愛車で、一路南下して全州市に入った。

■早速、月進会全州支部の林(イム・)スジン月進会副会長が、あの満面の笑みで迎えてくれた。3年前の全州支部発足も私の訪問をきっかけにして、ネットワークが組織されたものだった。会員は農民運動、労働運動、学生運動・社会運動の闘士たちばかりだ。東学農民戦争のメッカであり、禮山郡と共に数多くの独立運動家を輩出した反骨の地だ。現在は、文在寅政権を生んだ民主化運動の拠点でもある。この全州市と姉妹都市提携しているのが金沢市だ。

 全州支部会議は、李泰馥月進会会長、李佑宰名誉会長が、尹奉吉義士の独立精神を継承実践することが、東北アジアの平和の道だと、それぞれ政治情勢の課題、農業分野の協同組合運動の課題につないで話した。いずれも、全州市民の月進会活動への積極的参加を呼びかけるものだった。

 私には講演の任務が与えられ、「今こそ問われる『歴史認識を基礎とした』東北アジア平和連帯の歩み」と題して、話を聴いてもらった。盛大な拍手をいただいたのは、日本の政治状況と社会意識の転換への激励であると受け止めている。

 

■午後は、全州市議会を表敬訪問
 議員個人の訪問にもかかわらす、正副議長はじめ6人の議員が列席して迎えてくれた。

 本来は金沢市議会代表団が、ビビンバまつりに招かれていたが、政府間対立の影響から全州市議会側からの申し出で取りやめになった。この経過の中、私が単身訪問したことに、温かい歓迎の言葉があった。積極的な交流をより発展させようと、全州市議市側からの決意も語られた。夜は、議会主催の晩餐に招かれ、親密な対話ができた。今後につながる人間関係が始まる予感がする。

■表敬後、全州市議会の配慮で、職員ガイドの案内で伝統的家屋保存地区韓屋村を散策した。華やかな現代風チマチョゴリを着た幅広い年齢の女性たちが街を歩き、賑わいが増した印象だ。

 

    私たちは、韓屋敷に開いた茶屋に立ち寄った。主人の祖父が、ハルビンの抗日運動を支援していたという。
    この主人は、韓民族の精神文化が失われゆくのを茶礼の継承によって食い止めようとこの道に入ったそうだ。奥深い茶礼の背景に、独立精神が宿っている。
 植民地支配の問題に日本人が取り組む事に感動されたか、そのお茶を土産にいただく事になった。気持ちは通ずるものだ。私は、ここでも問われる。韓国の人々のことをなぜ取り組むのかと。私は答える。日本民族というものがあるとしたら、民族の名誉を回復するには、不都合な事実を直視し、赦しを乞い、未来に手を携えることしかないと。

 歴史認識の共有。その前提となる歴史の共同研究。その拠点に、大陸侵略の拠点都市だった金沢がなるべきだ。この歴史への責任履行は、東北アジアの平和連帯の一環となる。それには、禮山・全州・金沢のトライアングルが不可欠だ。

カムサ・ハムニダ 皆さん 行ったり来たりしよう

単身訪問と言っても、一人ではできない。私の訪韓の意向を我が事として、韓国の友人が献身的に動いてくれてはじめてできたに過ぎない。

 私の講演原稿を寝る間を惜しんでハングル翻訳してくれ、5日間の行程を調整し、さらに通訳として付き添ってくれた禮山郡在住の小川哲代さん。独立記念館訪問の天安市から全州市まで、長距離を私たちを乗せて車を走らせてくれた同い年の趙起徳元禮山郡議員。歓待してくれた禮山郡の金沢訪問者の皆さん。理事の皆さん。
    国会議長、議員との面談は、李泰馥月進会会長、李佑宰名誉会長の長年の運動人脈に負うものだった。挙げ尽くせないが、心からカムサ・ハムニダ! 

 23日早朝、全州市から金沢への帰途に就いた。

 

【参照資料】
ー月進会全州支部での講演原稿ー

2019.11

今こそ問われる「歴史認識を基礎とした」東北アジア平和連帯の歩み

 尹奉吉義士共の会 事務局長 金沢市議会議員  森 一敏

はじめに 今韓国訪問に寄せる私の課題意識について

 尊敬する李泰馥月進会会長をはじめ韓国の友人の皆様。禮山郡、及び忠清南道ならびに各議会の皆様。日韓関係が厳しい状況に直面する中、私の訪問を万難を排して受け入れ、所信を申し上げる機会を与えてくださり、衷心より感謝を申し上げます。

 また、金沢市の姉妹都市であります全州市、全州市議会、ならびに月進会全州支部の皆様とは、3年ぶりにお目に掛かります。喜びに堪えません。本年は、金沢市議会代表団が全州市ビビンバ祭りにお伺いし、交流させていただくことになっておりましたが、残念ながら、政府間問題を受けて取りやめとなりましたことは、たいへん残念に思います。全州市議会議長様からは、丁重な事情説明の書簡を頂き、私も拝読しておりますが、山野金沢市長、各金沢市議会議員とも、全州市との姉妹友好関係は大切であり、再開を望む気持ちで一致していることをこの場を借りてお伝えいたします。

 さて、一週間前の11日深夜、日本のNHKが、2001年1月26日、駅ホームに転落した日本人客を救おうとして自らの命を失った韓国人留学生李秀賢さんを悼む特集番組を放映しました。日韓の架け橋になりたいとの若き秀賢さんの遺志を継いで活動してきた両親の思いも紹介されました。皮肉にも、この新大久保駅周辺は、その後心ない排外ヘイトデモの拠点となり、番組は今日の日本社会のあり方について静かに問いかけるものでした。ほとんどのメディアが、安倍政権の韓国への排外主義に追随する中、この番組は、NHKに残された良心を垣間見せるものだと感じたところです。

 言うまでもなく、今日の日韓関係の厳しさは、2018年10月、韓国人4人の「元徴用工」に対し、韓国大法院が1億ウォンの支払いを命じた判決に端を発しています。私も、そして尹奉吉義士共の会をはじめ私と行動を共にする人々は、韓国人「元徴用工」とは日本の植民地統治下、本質的に強制労働の被害者であると認識し、その損害の賠償を命じた大法院判決は正当であると受け止めるものです。

 しかし、安倍内閣は、1965年の日韓請求権協定を盾にして、「請求権は消滅している。解決済みの問題に賠償命令を出すとは国際条約違反だ。新日鉄は賠償に応じてはならない。韓国政府には、国際法違反の判決を撤回することを求める。」と繰り返し韓国政府を非難しました。周知の通り、戦略的輸出品の輸出制限に始まり、「ホワイト国」からの韓国除外、軍事情報包括保護協定(GSOMIA)の破棄、さらには自治体や民間交流の相次ぐ中止など、事態は経済、外交、安全保障、観光交流、友好親善など広範囲な分野でエスカレートしています。

 私たちが最も危惧しているのは、「国際法を無視する韓国に全ての責任がある」とする安倍内閣の立場を多くの国民が支持し、韓国への反発、「嫌韓」感情が煽られていることです。
 不十分ながらアジアの隣人との相互理解が進み、人と文化の交流が活発になった状況から、一気に73年前に逆戻りしてしまう懸念を感じるほどです。

 これに対し、私たちは、この間の月進会や縁ある地方自治体、議会をはじめとする韓国市民の皆様との信頼関係を基礎に、「元徴用工」判決の歴史的な意味、国際法の正確な理解、ナショナリズムを改憲に利用しようとする安倍戦略などについて改めて討議しました。その上で、この危機をつくりだした安倍ナショナリズム政治を乗り越えて、新たな段階の日韓市民連帯を築く責務が私たちにあるとの共通の認識に至りました。

 私は、こうした私たち日本市民の問題意識をお伝えし、東北アジアの平和構築のための皆様とのパートナーシップをさらに強化することを願ってやって参りました。以下、3点について、私たちの考え方、歩み、今後の課題意識を申し上げます。

 1.『元徴用工』判決に対する私たちの認識
(1)問題は「完全かつ最終的に解決」されてはいない
 
韓国大法院(最高裁)は、2018年10月、新日鉄住金に対して、4人の韓国人「元徴用工」(強制労働者)に1人あたり1億ウオン(約1千万円)の支払いを命じました。これに対して、日本政府は、個人賠償請求権は、日韓請求権協定(1965年)により「完全かつ最終的に解決」されている。もし支払えば、「日本企業と国民が不当な不利益を被る」(河野太郎外相・当時)と述べました。対立を「日本の企業と国民」対「韓国」という誤った図式に誘導し、「日本を韓国から守れ」と「嫌韓」を煽っています。

 私たちは、真の図式は、反人道的な不法行為を行った新日鉄と被害者の韓国人との対立であって、「韓国対日本」でもなければ、「韓国人対日本人」でもないととらえています。問題の本質は、日本企業の朝鮮人「元徴用工」への不法行為であります。

 大法院の判決が出て以来、政府もマスコミも、韓国人個人が日本の企業や政府に賠償を請求する「個人請求権」はないと大合唱を繰り返してきました。ですが、日本政府は過去も現在も一貫して、他国の一個人が日本の政府や団体に損害賠償を請求する「個人請求権」は存在すると言い続けてきました。例えば、1991年には、高嶋有終、柳井俊二の2人の外務省高官(条約局長)が、また河野太郎元外相も2019年に、日韓条約を締結しても「個人の請求権そのものを消滅させたというものではない」と答弁しています。この国家権力によって個人の人権は消滅させられないという法的な立場は、国際社会が幾多の戦争、武力紛争を経る中で到達した国際法の揺るぎない到達点であると考えます。

 他方、韓国人強制労働者への和解は、既に3件が記録されています。韓国人強制連行・労働者への支払い等の問題では、隣県富山の不二越をはじめ他の和解例も、日韓請求権協定では「完全かつ最終的に解決」されてはいないことを示しているのです。

(2)恥ずべき賃金未払い、遺骨・貯金未返還 
 日本政府は、戦争による労働力不足から、朝鮮から70万人以上を遠く太平洋のブラウン環礁(現在、マーシャル諸島共和国)にまで連行しました。賃金は支払われず、日本兵と一緒に玉砕を強いられました。国家が「徴用」しておきながら、遺族には、生死の連絡や遺骨の返還もせず、貯金も返還しませんでした。1990年「遺族会」は、日本の厚生省に名簿の公開と遺骨の返還を求めました。「遺族には答えられない」と回答する厚生省に対し、「遺族会」代表は声をふりしぼり迫りました。(1992年、山形テレビ)「帝国臣民として、日本の戦争に連れて行ったのですから、最低、生死の確認をする義務があるはずです。戦死者の遺族が、自分で生死の確認をしなければならない国が、いったい何処にあるでしょうか。それが本当に今の日本の良心なのですか」

 ここで許されないのは、ブラウン玉砕者の名簿作成時に、日本人名簿から朝鮮人名簿を切り離したことです。その理由は「日本人遺族にのみ恩給、年金を支給するためでしょう」(岡本明厚生事務次官)。創氏改名で日本人として玉砕させられ、しかも日韓会談後25年もたち、なお日本は、遺骨、名簿、生死の確認をせず、戦後補償からも除外したままでした。恥ずべきことです。「日韓会談で完全かつ最終的に解決」は虚偽です。

(3)植民地支配の不法と韓国市民の民主化の闘いを無視してはならない 
 日本政府及びその見解を支持する政治家は、「請求権協定には韓国側の責任において個人への賠償を行うことを含んでいる。」と発言しています。果たしてそうでしょうか?

 1952年に始まった日韓政府間交渉が、1965年に請求権協定を含む日韓基本条約として取り交わされるまで、韓国はそのほとんどの時代が軍事独裁政権でした。私は、今日韓国の民主化運動の進展が、この歴代軍事独裁政権との命がけのたたかいの歴史であったことを敬意を持って認識する者です。国際条約といえども、植民地支配の被害を直接受けた人々の民意を体現しない条約は正当性を持ち得ません。その意味で、私は、朴正熙政権時代に締結した日韓基本条約の見直しは不可避であるとの立場に立ちます。

 しかも、この交渉過程において、1961年4.19革命によって誕生した尹潽善政権は、強制動員被害への補償を含む8項目の要求を行っていますが、日本政府はこれを否定し、朴正熙政権もそれを飲む形で条約が成立します。その日本側の一貫した論理は、「植民地支配は合法であり、清算の必要は認めない。」というものです。

 これを韓国最高法院判決は、その理由の中で、「請求権協定の交渉過程で日本政府は植民支配の不法性を認めないまま、強制動員被害の法的賠償を徹底的に否認し、これに伴い韓日両国の政府は日帝の韓半島支配の性格に関して合意に至ることができなかった。」と明確に述べています。
 私たちは、まさに清算されていない問題の根源が日本政府の側にあることを日本の市民の共通認識とする責任を痛感します。

(4)司法の独立を犯すな 
 さらに問題なのは、日本政府が韓国政府に対して大法院判決を取り消すよう求めている点です。韓国の行政が司法に介入するよう迫っているのです。司法が行政に追随し、司法の独立が犯されている日本を、韓国も見ならえというわけです。安倍政権は、韓国政府に韓国最高裁の判断を無視せよと圧力をかけています。文在寅政権は、司法権の独立、三権分立を根拠に拒否し続けています。私たちはこの姿勢を支持したいと思います。

(5)連帯を求めて 
 日本の韓国バッシングの原因は、日本側が朝鮮半島の植民地化と先の戦争を反省していない点にあります。2015年、安倍総理の談話は、かつて日本は、外交、経済の行き詰まりを力よって解決しようとしたといいます。しかしその力の行使は1931年の「満州事変」以降に限定されていて、明治初期から始まる征韓論、朝鮮支配をめざした日清・日露戦争、1910年の武力による韓国併合にはふれていません。

 権力者は、現在と未来の支配にとって都合の悪い過去の支配例を歴史から消し去ろうとします。記憶の抹殺、忘却の政策です。したがって、「権力に対する人間の闘いとは、忘却に対する記憶の闘いである」(ミラン・クンデラ)。私たちもこうした視点で、「韓国対日本」の対立図式に巻き込まれず、韓国や東アジアとの歴史を真摯に見つめ直したいと思います。そして対立と排除ではなく、友好と連帯をめざして、何をすべきかを改めて考えていきたいと思います。

 2.尹奉吉義士の義挙と韓国独立運動100年の意義についての認識
(1)尹奉吉義士の義挙に関する歴史的意義について
 1932年4月29日、当時の天長節の日、上海虹口公園において尹奉吉義士は、戦勝祝賀式典壇上の日本侵略軍首脳に向かって爆弾を投擲しました。この爆弾によって、上海日本人居留民団長河端貞次が即死、第9師団長植田謙吉中将、第3艦隊司令長官野村吉三郎海軍中将、在上海公使重光葵、在上海総領事村井倉松、上海日本人居留民団書記長友野盛が重傷を負いました。重光公使は右脚を、野村中将は片目の視力を失い、白川大将は5月26日に死亡し、彼の死は「戦死」とされました。

 この時に、上海派遣軍の主力であった第9師団が尹奉吉義士を捉え、軍法会議を経て同年12月19日、金沢市郊外の三小牛山陸軍演習場にて銃殺刑に処しました。彼の遺体は秘密裏に野田山陸軍墓地崖下に「暗葬」し、1945年の日本の敗戦、韓国の解放による翌春の遺体発掘まで、不当な処遇を強いました。金沢の地域史としても、植民地支配に関する当事者責任の意識を持って受け止めておくべき史実であると考えています。

 私たちは、日本の植民地支配からの独立闘争である尹奉吉義士の上海義挙は、近代の世界史に残る抵抗運動として刻まれるものと位置づけてきました。この抵抗者である尹奉吉義挙の世界史的意義について、当会田村光彰会長が新著『抵抗者-ゲオルグ・エルザーと尹奉吉-』(2019年10月発刊)の中で克明に掘り下げ、解放思想の実践としてナチスレジスタンスと並び称すべき普遍性があることを明らかにしています。

 この間、月進会は、「尹奉吉義士の平和精神を現代の東北アジアの平和実現に蘇らせる」ことを提唱してきました。その意味を私たちは、金沢はもちろん、日本国内で「テロリストとして扱われてきた尹奉吉」から「正当な抵抗権を身をもって実践した尹奉吉」へと、民族を超えて歴史的意義付けを転換深化させることである(田村会長)と受け止めてきました。「テロリスト」認識を乗り越えていくには、抑圧に対する抵抗は正義であり、人権であることを市民の中で明らかにしなければなりません。(2017年日韓共同学術会議in KANAZAWA)

(2)韓国独立運動100年に関わって 
 私は、仲間たちと今年、韓国独立運動100年の節目にあたり、4月、尹奉吉祝祭の際に堤岩里(ジェアムリ)の独立闘争弾圧の教会跡紀念館を、10月には市民の政策研究会「くるま座」の仲間と在日韓国YMCAホテル(千代田区猿楽町に移転)2.8独立宣言資料室ならびに南麻布の在日韓人歴史資料館を訪問しました。
 これらの参観を通じ、日本の植民地支配の苛烈さを再認識すると同時に、これに敢然と立ち向かった韓国民衆の屈することのない独立精神に胸が揺さぶられる思いがしました。

 尹奉吉義挙は、3.1万歳独立運動、これに先立つ2.8学生独立宣言の精神を体現するものであり、さらには、解放後の今日に至る韓国の民主化運動をも照らし出して脈々と息づいていると思います。今日までの独立と民主主義を獲得する100年の苦闘の歴史に対し、加害の自覚をもってその重さと真摯に向き合うことなしに、日韓問題を真に理解することはできません。さらには、中国などを含め、東アジアの近代史は、日本帝国主義との共同の闘いの歴史であったことを自覚しなければなりません。 

 大陸侵略の拠点都市であった金沢の歴史に対する責任とは、この歴史を認識し、アジアの交流と平和外交を自治体、市民が協働して推進することであると考えています。

 3.東北アジア平和連帯の活動とこれからの課題について
(1)私たちの平和連帯と「未完の平和憲法」の完成
 
ところで、先日函館での第56回護憲大会の「歴史認識と戦後補償分科会」では、戦後補償問題で重要な役割を果たしてきた内田雅敏弁護士が講演に立ち、憲法学者の故奥平康弘氏の言葉を引用しました。「日本の平和憲法は未完である。侵略と植民地支配の歴史認識を共有し、その清算を完遂したときに憲法は完成される。」東アジアから突き付けられている歴史認識と戦後補償を巡る負債を解決することが、憲法の不完全さを補完し、名実ともに完結した平和憲法として人々に獲得されるとの指摘です。2017年末の日韓共同学術会議in KANAZAWAで徐勝立命館大学教授が行った「言行不一致の護憲運動」との厳しい批判とも通じます。私は、討論に参加しながらこの指摘を重く受け止めました。

皆様の大韓民国憲法は、その前文でこう宣言しています。

「悠久な歴史と伝統に輝く我々大韓国民は3.1運動で建立された大韓民国臨時政府の法統と、不義に抗拒した4.19民主理念を継承し、祖国の民主改革と平和的統一の使命に立脚して、正義・人道と同胞愛で民族の団結を強固にし、(中略)自由と権利に拠る責任と義務を完遂するようにし、国内では国民生活の均等な向上を期し、外交では恒久的な世界平和と人類共栄に貢献することで我々と我々の子孫の安全と自由と幸福を永遠に確保する」

 日本国憲法前文もまた、次のように謳っています。「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。(中略)われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓う。」

 私には、日本の植民地支配に敢然と抵抗した尹奉吉義士をはじめとした韓国民衆の遺志が、両国憲法を繋ぎ、平和連帯の道筋を指し示しているように思えてなりません。

(2)私たちの東北アジア平和連帯運動の経過に寄せて 
 さて、ここで先人の努力を振り返っておきたいと思います。

 1992年に暗葬之跡が保存された際に、当時朴仁祚氏と連携した市民グループユン・ボンギル暗葬地跡を考える会は、「テロリスト」「義士」論争を超えてこう記しています。「日本の植民地支配を肯定することなく、また遺体を通路に埋められた尹奉吉を単なる『悲劇の主人公』にするのではなく、尹奉吉の独立のための「義挙」と、総体としての民族解放運動との連帯につなげていくために、日本人だけのものではなく、在日韓国・朝鮮人との共同作業であることの意味を込めて。」

 暗葬之跡碑の設置に随伴した故尹圭相月進会名誉会長、故平田誠一金沢市議会議員の尽力に加え、2008年12月19日の永代使用許可では、洪文杓現国会議員が代表を務められていた韓国農漁村公社が永代使用料を寄付されたことは、月進会日本支部をはじめ関係者には忘れることができないことです。そして、許可には、山出保元金沢市長の「日韓親善に寄与する」との政治判断があったことは永遠に銘記されねばなりません。

 私たち尹奉吉義士共の会は、こうした先達の功績を引き継ぎ、2006年に月進会日本支部(現・朴賢沢支部長)、社会民主党と連携する市民団体として発足しました。以来、日韓関係がギクシャクした時も南北関係が緊張した時も、途切れることなく相互訪問を続け、市民の相互信頼と自治体間の連携により平和連帯の基礎は築かれるとの確信を深めました。 
 2016年には、黄善奉禮山郡郡守初の海外視察に来沢頂き、自治体間の信頼醸成に対する熱意に感銘を受けました。この来訪をきっかけとして、黄郡守、郡議会が暗葬之跡の整備事業への支援を英断されることになりました。さらに伝統文化の領域では、李光壽民族音楽院との深い交流を挙げなければなりません。

 こうして振り返るにつけ、私たちは真の「腹心の友」であり「一衣帯水」の同志であると申し上げることをお許しいただけるものと思います。

(3)これからの平和連帯の活動を展望して 
 ここで、平和と友好を願う日本の市民の最近の活動を紹介します。

 厳しい日韓対立に危機感を持った日本の知識層は、「韓国は敵なのか?」と問いかける署名を呼びかけ、短期間で1万筆近くの友好を求める署名を集めました。私が視察先の倉敷市で出会った一人の女性の「日韓友好日本縦断フリーハグズ(Free Hugs)」活動もその一つでしょう。 
 日本知識人の声明には深い感謝が韓国から寄せられました。さらに、去る11月3日憲法公布73周年の中央集会には、韓国から市民団体が参加し、安倍改憲阻止の闘いに連帯を表明しています。私たちも、来る12月21日に金沢市内で、独立紀念館独立運動史研究所尹素英研究部長を招き、「平和のための日韓連帯・市民のつどい」を開きます。

 2010年李佑宰月進会長(当時)の提案から9年。李泰馥現会長とも共通の思いをもって、相互連携によるシンポジウム、青少年交流などの共同活動の積み上げに立ち、これからの課題意識と展望を具体的に整理したいと思います。皆様のお知恵とお力をぜひともお貸しください。

① 暗葬之跡史跡保存活動の維持継続

・月進会日本支部としては、後継者、資金面に課題がある。

・現在の金沢市当局の姿勢に懸念がある。さらなる交流の積み上げの力により、暗葬之跡を護っていきたい。

・月進会等団体、禮山郡・忠清南道に加え、全州市当局、議会にも暗葬之跡訪問を。

② 禮山郡および金沢シンポジウム開催を土台に次なる展開を

・金沢市・石川県―禮山・忠清南道―全州(金沢市姉妹都市)・全羅北道(石川県友好)、中国等東北アジア圏自治体との連携

・独立紀念館との日韓共同学術会議in KANAZAWA 2017.12.2~3(市民200人)を契機に県内、日本国内他団体等との共同をさらに進める。

・独立紀念館との学術会議の継続発展。月進会等とも連携協力。

③ 東北アジア平和資料館・歴史共同研究所設置をいかに実現するか

・今日の歴史問題、政治問題を考えるにつけ、この実現は成すべき根本的な課  

題だ。

・市民に開いたこの間の平和連帯活動を報告する機会。

・金沢市と禮山郡・忠清南道、全州・全羅北道のトライアングル関係を強化し、ソウル市をも接点として共同事業を構想する。

④ 南北の平和統一への連帯

・北陸にも訪朝団の動き。

・月進会とも連携した日韓朝交流のとりくみが模索できるのではないか。

⑤ 教育活動への反映、学生・青年相互交流の拡大            

・金沢市立工業高校教職員との意思の疎通と連携。

・月進会から金沢に留学生を送ることも検討できる。

・金沢に来ている留学生とのつながりを作っていく。

・県内大学の教員との連携を模索する。

・月進会全州支部を通じた全州工業高校との接触。

・ホームステイ活動の検討

締めくくりに

 私自身、皆様との16年に亘る相互交流を通じ、尹奉吉義士の平和精神の根本には、農業革命家としての「生命倉庫」の思想があることを教えていただきました。また、東北アジアにおいて、国・民族を超えた平和的生存権を実現するには、偏狭なナショナリズムと軍事的緊張の背景にある貧困・格差の是正が必要であるとも伺いました。私は、これを社会民主主義的思想であると深い共感をもって受け止めます。

 生命の尊重と人間らしい幸福の希求は、人類共通の願いです。尹奉吉義士は対立の存在ではなく、人類融和の存在であるはずです。ならば、日本において交流事業をより公的な舞台に乗せるには、いのちの尊重、いのちのための環境、いのちのための経済(文化・観光交流含む)をテーマとする工夫も有効かと思われます。

 この「生命倉庫」の思想が日本に生きる人々に共鳴されるよう。生涯をかけてとりくむ決意です。講演の機会を頂き深く感謝申し上げます。