報告 日本における反戦平和運動の現在的な意味~歴史認識を基礎とした東北アジア平和連帯の歩みと今~

2017.12.3

日韓共同学術会議:尹奉吉義挙世界平和運動・KANAZAWA

IMG_2184日本における反戦平和運動の現在的な意味

~歴史認識を基礎とした東北アジア平和連帯の歩みと今~

  尹奉吉義士共の会 事務局長    金沢市議会議員 森 一敏

 

はじめに 私たちが確認してきた歴史認識

    本学術会議に当たり、まず、私たち金沢準備委員会としての歴史認識を申し述べたい。

 当地金沢は、第二次世界大戦中に空襲等の戦禍を免れた歴史都市であり、これをもって平和都市とする評価もなされているが、東北アジアにとって金沢とは如何なる都市であったのか、市民自身が認識を新たにしておく必要がある。

 大政奉還が宣言された1867年に始まる明治の近代化に伴い、早くも6年後に兵制が敷かれ、徴兵制度が導入された。この1873年に金沢城内に名古屋鎮台の分営が設置された。翌1874年、初めての海外出兵である台湾出兵にこの分営の部隊が参加している。

 明けて1875年3月には、歩兵第七連隊司令部が設置され、その後、「郷土の誉れ」の精鋭部隊として名を馳せることになる。1894年、東学農民戦争の鎮圧に出兵し、日清戦争に従軍する。その際に、忠清道や全羅道をはじめ各地で蜂起した抗日義兵を大量に殺戮した。それから11年後の1896年に設置された第九師団司令部は、1898年に金沢城内に移設される。

 この第九師団は、その後、1904年日露戦争の旅順会戦に従軍、日露戦争後の二年間に続き、1914年以降三年間、第一次世界大戦参戦を背景に併合後の韓国に駐留し武断支配を担った。さらに、1921年ロシア革命に干渉するシベリア出兵にも従軍している。

 そして、1932年に第一次上海事変に従軍し、ここで尹奉吉義士による上海爆弾事件に遭遇する。

 その後、1935年以降三年間、偽満州国への派兵、1937年日中戦争開戦に係る第二次上海事変にも派兵され、中支那方面軍として南京攻略戦、南京城内国際難民区での敗残兵の掃討など南京大虐殺事件の当事者となった。1940年に再び偽満州国への派兵、1944年沖縄移駐の後、台湾にて敗戦を迎えた。

 このように、金沢は非戦災都市ではあるが、植民地支配と大陸侵略の拠点としての役割を果たした都市である。金沢の歴史に対する責任とは、この歴史を認識し、アジアの交流と平和外交を自治体、住民が協働して推進することであると考えている。

 1.深まる信頼と連帯意識

 さて、尹奉吉義士の平和精神の継承に関して、李佑宰月進会会長が述べた「金沢は韓国市民にとっての聖地である。」との言葉に、私たちは背筋伸びる思いがする。その意味を以下に述べる。

 1992年に暗葬之跡が史跡として保存された際に、当時朴仁祚氏と連携したユン・ボンギル暗葬地跡を考える会は、「テロリスト」「義士」論争を超えてこう記している。「日本の植民地支配を肯定することなく、また遺体を通路に埋められた尹奉吉を単なる『悲劇の主人公』にするのではなく、尹奉吉の独立のための「義挙」と、総体としての民族解放運動との連帯につなげていくために、日本人だけのものではなく、在日韓国・朝鮮人との共同作業であることの意味を込めて。」

 暗葬之跡碑の設置は、日本の地域社会で植民地支配と侵略に対する歴史認識と責任意識が覚醒する時代背景を伴っていた。これに随伴した故尹圭相月進会名誉会長、故平田誠一金沢市議会議員に加え、2008年12月19日の永代使用許可に当たり、山出保元金沢市長の「日韓親善に寄与する」との政治判断があったことは永遠に銘記されねばならない。今日の東北アジアの平和連帯の歩みは、石川の地でこの時から始まっていたのである。

 私たち尹奉吉義士共の会は、そうした14年に及ぶ先達の歴史を引き継ぎ、2006年に社会民主党と連携する市民団体として発足した。以来、日韓関係がギクシャクした時も南北関係が緊張した時も、途切れることなく相互訪問を続け、両地域市民の相互信頼と自治体間の連携によって、平和連帯の基礎を築くことは可能であるとの意思を共有してきた。 

 昨年5月には、黄善奉禮山郡郡守初の海外視察に来沢頂き、自治体間の信頼醸成の熱意に感銘を受けた。李佑宰会長が、韓国の人々が暗葬之跡碑にひざまずき、私たちの活動に触れることを「金沢は韓国市民にとっての聖地である。」と表現されることは、極めて光栄なことである。同時に、苦闘を強いられてきた私たちが今日まで支えられていることに感謝の念を表明したい。私たちは真の「腹心の友」であり一衣帯水の同志である。

 しかしながら、自治体、市民が積み上げてきた信頼と平和への道は、今日、かつてない困難に直面している。

 2.立ち塞がる困難な状況

(1)日本の政治状況

 安倍政権は、植民地支配が招いた南北分断の固定化に積極的に加担し、対米従属の下、朝鮮(「北朝鮮」)敵視と「嫌韓」感情を煽動して自身の政治基盤強化に利用してきた。「北朝鮮」核ミサイル危機として緊張が高まる中、安倍政権は、2015年9月19日に強行成立させた安保関連法に基づく集団的自衛権の一環として、5月には「北朝鮮」威嚇のために太平洋側の日本近海を進む米補給艦に海上自衛隊護衛艦を併走させた。また、6月には、「日本海」でミサイル警戒中の米イージス艦に補給艦が給油を行った。その一方で、自治体住民にJアラート情報で不安を煽り、ミサイル落下を想定した避難訓練を促すなど、時代錯誤の戦時体制に国民を巻き込んでいる。

 安倍首相は、9月の国連総会で「対話は無力であり圧力のみが危機解決の手段だ。」と演説した。第3次世界大戦回避のために、冷静な対話による解決を訴える各国首脳の中にあって、その好戦的な姿勢が際立った。防衛省は、来年度予算に向け過去最大である5兆2千億円余の要求を行い、イージス・アショアやTHAADの配備を検討している。「北朝鮮」に対する宣戦布告と受け取られかねない安倍国連演説は国民の総意ではないし、日本の取るべき安全保障政策では断じてないことを申し上げたい。

 ところで安倍内閣は、歴史修正主義の盟友である森友学園、加計学園への便宜供与疑惑や稲田元防衛大臣の度重なる不祥事などでその求心力が急速に低下した。この9月28日、これを乗り切り、悲願である在任中の改憲(2018年秋国民投票)を果たすため、「自己保身・自己都合」解散に打って出た。安倍首相の目指す憲法改正は、9条に3項を新設し自衛隊を書き加え、集団的自衛権を全面行使できる国防軍の創設へと道を開くものである。

 この状況に乗じ、小池百合子東京都知事が代表に就任した「希望の党」が安倍一強打破を掲げて設立され、野党第1党であった民進党は事実上の分裂に追い込まれた。小池百合子代表をはじめ「希望の党」幹部もまた、日本会議の思想的影響を強く受け、関東大震災時の朝鮮人虐殺被害者への追悼文を拒否したり、在日外国人の地方参政権に反対するなど民族排外主義の改憲派揃いである。社民党は、護憲リベラルの野党・市民共闘を発展させ、安倍改憲阻止の選挙戦を模索してきたが、くさびを打たれる状況に陥った。

 こうして迎えた10月22日の衆議院議員総選挙では、安倍自民党は「朝鮮の脅威」を連呼し、「日本を守りたい」とのキャッチフレーズで284議席を獲得し、連立与党の公明党と合わせて改憲発議に必要な3分の2を超える313議席を占めることとなった。改憲課題に違いはあるものの、希望の党や日本維新の会などを含めると、改憲勢力の議席は8割に達する状況である。一方、護憲リベラルの対抗軸となるべく急遽設立された「立憲民主党」は、国民の危機感を吸収し、野党第一党へと躍進した。選挙結果は小選挙区制度のもたらしたいびつな結果であると共に、改憲に対する国民の意識は、選挙後の世論調査での安倍改憲不賛成6割超に表れている。

 今後は、立憲民主党を軸に、同じく立憲野党である共産党、社民党が共闘し、巨大化した改憲勢力と対峙し、改憲の流れを食い止める国民運動を創り出すことが急務である。

(2)金沢・石川における政治状況

 私たちの足元に目を転ずれば、山野金沢市政は、2015年に日本の過去を正当化する育鵬社中学校歴史教科書を採択したことに加え、月進会日本支部が行う暗葬之跡再整備についても、右翼団体からの抗議行動の懸念を理由に、消極的な姿勢に終始している。

 これに加え金沢市は、私が事務局長を務める石川県憲法を守る会が、5月3日に行う護憲集会に市庁舎前広場を使用する申請を行ったのに対し、「特定の主義主張に基づいて賛否を表明する政治活動、示威行為は改正管理規則の禁止事項に当たり許可できない。」と不許可処分を行ってきた。憲法第21条の「集会・表現の自由」は自治や民主主義の土台であり、基本的人権の核心をなす。不許可処分は看過できず、9月29日、憲法違反であると金沢地方裁判所に提訴したところである。

 他方、谷本石川県知事は、「北朝鮮」がミサイル発射実験を繰り返す状況下で、「金政権を転換させるには、北朝鮮国民を兵糧攻めにして餓死させる必要がある。」と述べて、県民から厳しい批判を受けた。知事は人権軽視と受け取られる不適切発言だったと撤回したが、「北朝鮮」人民への謝罪は行ってはいない。尹奉吉義士共の会会員も多く参加している聖戦大碑撤去の会や朝鮮総連などの団体が相次いで抗議し謝罪を求める申し入れを行った。

 私たちはこの発言を、歴史を顧みない朝鮮蔑視が根にあることを指摘し、南北分断以後アメリカによる「北朝鮮」の軍事的経済的封じ込めが事態の背景にあることの認識と、自治体の長として国に対話による解決を求めるよう要求してきた。

 これらは、安倍政治の地方への波及のほんの一例に過ぎない。

 3.韓国ろうそく集会に勇気づけられた私たちのたたかい

 私たちは、この一年、県内諸団体と共同し、集団的自衛権を容認する戦争法たる「安保関連法」の廃止と「共謀罪法」の成立阻止に全力を挙げてきた。共謀罪は、日本の刑法体系を根底から覆し、犯罪実行以前の相談の段階から捜査の対象とし処罰できる治安立法である。私たちは、これが拡大適用され、正当な政府批判や憲法改悪反対などの市民運動が弾圧される危険性を訴えてきたが力及ばず、6月、国会の強行採決により成立を許した。

 このように、立憲民主主義を破壊する安倍政権の戦争のできる国づくりに対し、私たちはこの5年間休むことなく抵抗の市民運動に明け暮れてきた。この苦闘とも言える運動を勇気づけ、精神的に支えてくれたのは、沖縄県民の不屈の反米軍基地闘争であり、韓国市民の波打つ民主化運動であった。とりわけ、昨年来、腐敗と権力主義にまみれた朴槿恵前大統領を糾弾し、青少年を含んで数百万人が街頭から退陣要求に立ち上がったろうそく集会・デモの姿に深い敬意と感銘を覚えた。この民衆運動が大きく発展した昨年4月末、訪韓中の私たち訪問団は日本大使館前の水曜集会に参加し、日本政府による「慰安婦」問題への歴史修正主義と被害者頭越しの「日韓合意」に対し、共に抗議の声を上げた。

 私も連日金沢市内の街頭や集会に仲間と立ち、民主主義の後退は許さない韓国市民の敢然としたたたかいに学び、悪政に対する異議申し立ての責任を共に果たそうと呼びかけた。

 選挙戦での立場の違いを超えて、文在寅大統領を誕生させた民主化運動の偉大な成果は、歴史に深く刻まれるものと思う。私は、6月の金沢市議会定例月議会で、山野金沢市長に台湾の植民地時代に関する歴史認識を問う中で、文在寅大統領が「顕忠日」に行った演説「私と政府は、愛国の歴史を尊重して守るが、それを統治に利用した不幸な過去を繰り返さない」を引用した。ナショナリズムを鼓舞するために歴史を修正する側に与してはならないことを求めるものであった。今日、複雑で厳しい国際情勢の中で、韓国政府は難しい舵取りを強いられていると受け止めているが、民主化と平和を求める民衆の意志を体現し、前進するものと確信している。

 4.これからの平和連帯の活動を展望して

 2010年李佑宰月進会長の提案から7年。相互連携と双方でのシンポジウム、青少年交流などの共同活動の積み上げに立ち、日本側の課題意識と展望を整理したい。

(1)「抵抗の文化」としての尹奉吉義挙からの学び   

北陸中日新聞(東京新聞)は、年明け早々に日本社会の状況を危惧する東大の哲学者高橋哲哉教授の言葉を載せている。「いまは次に起こる戦争の『戦前』ではないか。安倍政権の全体主義的傾向は強まっている。やりたい放題やっても国民から抵抗がほとんど無い。九条改憲まで突っ走っても不思議ではない。」彼は「明治以来のお上に任せるしかないという根強い意識」と指摘した上で、ベラルーシの作家アレクシエービッチ氏の発言「日本には抵抗の文化がない」を引用する。

 この深刻な課題に向き合わねばならない私たちは、月進会が提唱する「尹奉吉義士の平和精神を現代の東北アジアの平和実現に蘇らせる」の意味を、日本に於いては、「テロリストとして扱われてきた尹奉吉」から「正当な抵抗権を身をもって実践した尹奉吉」へと、民族を超えて歴史的意義付けを転換深化させることであると受け止め直している。この課題意識は、本年6月の月進会来訪時に開催した「平和連帯のための意見交換会」で、当会田村光彰会長の次の発言に代表されている。「日本国内での『テロリスト』認識を乗り越えていくために、抑圧に対する抵抗は正義であり、人権であることを明らかにしなければならない。世界の抵抗運動の中で、尹奉吉の位置を高めていく必要がある。」

 本学術会議に於ける田村光彰報告もこの文脈から生まれたものである。

(2)東北アジアの平和構築の鍵となる南北の分断克服への私たちの連帯について

 韓国月進会が主導する韓国内平和連合、南北平和統一の土壌づくりの活動について、私たちも報告を受けてきた。上記の意見交換会で李佑宰会長は、「敗戦国日本が分割されず、韓国が分割されたことを日本は背負っていかねばならない。この問題は、朝鮮半島の南北統一を願っていない「6カ国」では解決できないだろう。アジアの市民運動が必要だ。」と厳しい指摘を行った。これに応えるかのように、日本の政府が「北朝鮮」への排外主義に立ち、軍事的威圧に傾斜することに危機感を持つ市民有志が、石川・金沢に於いても新たな日朝友好運動を模索する動きが現れている。

(3)昨秋の訪韓から動き出した禮山郡、忠清南道、全州市との連携について

 私は、2015年11月のこのシンポジウムで、私と協働する市民の政策研究会が起草した「金沢国際地方政府宣言」の一部を紹介した。その報告は次の一節で締め括っている。「この宣言は、国境を越えて人々が平和のうちに人間の尊厳をもって生き続けられるよう、自治体は市民の側に立ち、国境を越えて連携し、政府と対等の立場からその実現に奮闘しなければならないとの考えを基礎にしている。私たちの地方政府宣言を実現するには、今、国際連帯活動の一環として積み上げられている月進会を中心とする東北アジア諸地域人民のさらなる共同行動が不可欠だと考えている。」

 そのため、私は、昨年11月に朴賢澤月進会日本支部長と共に訪韓し、李佑宰月進会会長の導きにより、禮山郡、忠清南道、全州市を訪問して、それぞれの首長、議長、議員諸氏との会談の機会を得た。そこでは、黄善奉禮山郡郡守並びに権国相禮山郡議会議長、月進会との史跡再整備に関する意見交換を行った後、尹柱卿独立紀念館館長との懇談で、金沢での共同シンポジウムの可能性について意見を交わした。

 さらには、初めて忠清南道議会を訪問し、金奇泳前議長、尹錫雨議長を表敬し、平和のための協力について賛同を得た。また、月進会全州支部発足大会に出席すると共に、姉妹都市議会である金全州市議会議長とも懇談した。金全州市長との懇談では、東学農民戦争の再評価、戦没者遺骨調査に関する動向を伺い、金沢との連携に前向きな発言を頂いた。

 これを受け、今夏、複数の禮山郡議員、忠清南道議員が金沢を訪れた。その際の意見交換会では、「忠清南道は、東北アジア五か国の地方自治体持ち回りによるフォーラムを開催してきたが、これからは、文化や産業に加えて平和にも触れていかねばならない。」また「日本の西欧化により韓国の近代化は頓挫させられた。「恨」を抱いている韓国の人々とは公的な付き合いだけではだめだ。今回来たくなかった日本、金沢に来て皆さん方と出会い、とても感動している。市民同士の交流がとても大切だ。」といった意見を伺うことができた。自治体間、さらには市民同士の連携活動に向け、大きな一歩が記されたと確信する。

(4)「アジア歴史共同研究センター」に向かって 

 尹奉吉義士暗葬之跡での資料館整備は、日本及び金沢の情勢から困難な状況にあるが、金沢市、全州市が創造都市ネットワークに加盟するユネスコの憲章が謳う「教育文化における都市の平和への責任」に基づき、禮山郡をはじめ関係自治体が連携する「アジア歴史共同研究センター」を金沢に設置するという道筋を時間はかかっても歩みたい。この歩みに、韓国独立紀念館との本韓日共同学術会議が位置付いている。 

 開催目的である、「尹奉吉義挙の世界史的意味と反戦平和運動の価値を明らかにし、その精神を現在に継承する。」ことが、金沢市民の共有意識となるよう引き続き取り組みたい。

 終わりに 

 「悠久な歴史と伝統に輝く我々大韓国民は3.1運動で建立された大韓民国臨時政府の法統と、不義に抗拒した4.19民主理念を継承し、祖国の民主改革と平和的統一の使命に立脚して、正義・人道と同胞愛で民族の団結を強固にし、全ての社会的弊習と不義を打破し、自律と調和を土台に自由民主的基本秩序をより確固にし、政治・経済・社会・文化のすべての領域において各人の機会を均等にし、能力を最高度に発揮してもらい、自由と権利に拠る責任と義務を完遂するようにし、国内では国民生活の均等な向上を期し、外交では恒久的な世界平和と人類共栄に貢献することで我々と我々の子孫の安全と自由と幸福を永遠に確保することを確認しつつ、」

 本稿を執筆するに当たり、この貴韓国憲法が、その前文で宣言するように、3.1独立運動にはじまる大韓民国臨時政府の系譜から生まれ、屈することのない人々の民主化運動を支えてきたことを深く認識したところである。

 日本国憲法前文もまた、こう謳っている。「・・・日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。・・・日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓う。」

 私には、日本の植民地支配に敢然と抵抗した尹奉吉義士をはじめとした韓国民衆の遺志が、両国憲法を繋ぎ、平和連帯の基礎を形作っているように思えてならない。

  私自身、その営々とした系譜に連なる尹圭相名誉会長、李佑宰会長をはじめとする韓国の皆様との15年に亘る相互交流を通じ、尹奉吉義士の平和精神の根本には、農業革命家としての「生命倉庫」の思想があることを教示された。

 東北アジアから戦禍とその火種を取り除く、即ち国・民族を超えた平和的生存権を実現するには、偏狭なナショナリズムと軍事的緊張の背景にある貧困・格差の是正が必要であると。私は、これを社会民主主義的思想であると受け止める。

 生命の尊重と人間らしい幸福の希求は、人間共通の願いであろう。ならば、尹奉吉義士は対立の存在ではなく、人類融和の存在であるはずである。日本に生きる人々にそれが共有されるよう、生涯をかけてとりくむ決意である。報告の機会を頂き深く感謝申し上げる。