金沢市よ 憲法順守義務の真意を理解できなくなってはいないか

金沢市よ 
   憲法順守義務の真意を理解できなくなってはいないか

DQgKS3jUMAAEhoi[1] アジア太平洋戦争開戦の日に重なった。 野村夏陽弁護士による代読で、第1回口頭弁論で主張したことを報告しておきたい。

市庁舎前広場護憲集会不許可違憲訴訟 2017.12.8

第1回口頭弁論金沢地方裁判所
石川県憲法を守る会 事務局長 森 一敏

 

 意  見  陳  述

1.自己紹介
 私は、金沢市内に住む森 一敏と申します。2014年より石川県憲法を守る会で事務局長を務めております。本訴訟を提起することになった市庁舎前広場使用不許可処分における事務当事者でもあります。また、2003年より金沢市議会議員を務めて4期目の活動を行っておりまして、議員の一人として、本市の行政処分の適否に公的な責任を負っていると自己認識しております。

24852202_949278045224227_4330515152702047299_n[1]2.日本国憲法に寄せる思い
 続けて、私の日本国憲法に寄せる思いについて申し上げます。私は、1959年生まれですから、もちろん戦争体験のない世代です。しかしながら、学ぶ機会を得、日本国憲法は、アジアで70年もの間明け暮れた帝国主義戦争に敗れて初めて手にした民主的憲法であると認識しています。当時を生きた方々からは、異口同音に、殺し殺される極限状況からの解放、絶対主義天皇制軍国主義の抑圧からの解放感が語られ、暗雲垂れ込める空に青空が広がった鮮烈な記憶を伝え聞いてきました。
 その日本国憲法順守を宣誓して教員となった私は、子どもたちの学ぶ権利保障を肝に銘じ、憲法三大原則である平和主義、基本的人権の尊重、主権在民の担い手として子どもたちが育まれていくよう、私なりに最善を尽くそうと取り組む日々を送りました。
 その後、地方政治の世界に転身することになり、憲法第92条「地方自治の本旨」とは、住民の基本的人権の保障にあるとの定義づけに深く共鳴して今日に至りました。
 ところで、憲法を守る会の活動を通じ、私自身の認識が改まったのは、憲法存立の基礎にある立憲主義の考え方でした。憲法第99条に明記されている憲法尊重擁護義務者は、天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員であり、国民ではありません。憲法の持ち主は国民であり、国家・行政機関にある者は憲法規範に基づく国民の制約の下に公的責務を果たさねばならない。国民は憲法をもって行政権力を縛っている。
この重さを深く理解したのは、皮肉なことに、安倍内閣が集団的自衛権を容認する憲法解釈の変更を行い、その法制化のために安全保障関連法を成立させようとする過程でありました。憲法に服さねばならない公権力が、議席の数の力に頼んで自ら違憲立法に及び、さらには、国の公権力が主導して憲法改定を目論むなどという時代状況は、憲法死滅の危機と呼ぶ以外にありません。憲法の死滅は民主主義の死滅であり、独裁の道です。この危機意識は、憲法を守る会を構成するすべての団体個人が共有しています。

3.事前ヒアリングという「検閲」の当事者として違憲訴訟提訴に至った思い
24862317_949277948557570_4651447638647301825_n[1] さて、こうした時代状況にあって、金沢市は、本年5月3日憲法記念日の護憲集会に市庁舎前広場を使用したいとの私たちの申請に対し、4月14日、不許可処分を行ってきました。少なくともこの約10年にわたり、工事期間を除き、護憲集会の広場使用申請に対し、憲法に基づく行政運営を行う市にとり、集会を許可してきた経緯を覆すものでした。特定の主義主張にもとづく示威行為であり、庁舎の管理に支障があるとの判断でした。これを根拠づけるとされた金沢市庁舎等管理規則は、本年3月21日、庁舎前広場改修完了と同時に一部改正されたものですが、その改正点が、従来の第5条禁止行為第12項「示威行為」に「特定の政策・主義又は意見に賛成し、又は反対する目的で個人又は団体で威力又は気勢を他に示す等の」を付加するものでした。
 私は、申請者側の事務担当者として、この改正管理規則に基づいて、市の所管課である総務課長により、事前のヒアリングを受けることになりました。これまで、何ら問題とされることのなかった護憲集会に対し、集会内容に立ち入って問われること自体に強い違和感を覚えました。そして、その結果が、政府批判は特定の主義主張であるから不許可であるとされたのですから、これは事前の検閲を受けたのだと、深い憤りに変わりました。いつの間に、憲法を守ろうという主張が、条例上の根拠を持たない単なる庁内内規に過ぎない管理規則によって、事前検閲・規制の対象とされる時代になったのでしょうか。

4.地方自治の「政治的中立性」と憲法遵守義務
24862252_949278138557551_6234408133869346918_n[2] 金沢市は、不許可処分を正当化するのに、金沢市の政治的中立性が疑われないようにと釈明してきました。憲法順守・尊重を義務づけられる政府・与党が、元最高裁長官までもが違憲立法と批判する法案成立に狂奔する状況にあって、市民がそれを批判し、憲法理念を守れと主張するのは、至極当然のことであります。憲法に基づく地方自治を義務づけられている市行政が置く政治的中立とは如何なるものなのでしょうか。それが、もし政府方針に従うことであると考えられているとしたら、それはまた、地方自治の死滅を意味するでしょう。私たちはこれをも深く憂慮します。

5.表現の自由と市庁舎前広場という「場」の持つ意味
 ところで、本提訴の根幹にある私たちの主張は、金沢市の不許可処分によって、私たち市民の表現・集会の自由が、著しく侵害されたことは看過できないということです。この憲法第21条の表現・集会の自由について、憲法学者は、基本的人権24775095_949278188557546_483556905759427928_n[1]の根幹をなし、人々が集会を通じて意思を表明することは民主的な自治を形成する重要な要素であるがゆえに、最大限の尊重を要すると指摘しています。であるならば、憲法理念に反する改憲を志向する巨大与党から憲法を守ろうとすれば、政権の側に属さない少数者の批判的意見表明権が公的にも尊重されなければなりません。人権の根幹をなすとされる表現の自由尊重の意味が十分に市行政に理解されていないのではないか。深く深刻な疑問に暗澹たる思いが致します。
 私たちが、市庁舎前での意見表明の自由に拘るのは、権力者の圧政に抗議し、個人の尊厳と自由を求めて止むに止まれぬ声を上げ、身の危険を顧みず闘った幾多の人々の結集の舞台が広場であったことを知っているからです。立憲主義の思想を育み、民主的な自治制度、ひいては市民社会を発展させてきた広場の歴史を現代に継承する最も大きな責務を負っているのは、行政当局の広場に他ならないと思うのです。

6.裁判長に
 終わりに、裁判長に申し上げます。世の状況は、今ほど、公権力の側にある者の憲法遵守義務の履行が問われる時はないと思います。行政庁舎の管理の問題に矮小化することなく、大局観に立った審理を是非ともお願い致します。金沢市をして、庁舎前広場という市民の共有空間から、政治的中立の名で市民の政治的意見表明を排除させることのないようにして頂きたい。以上、私の意見陳述を終わります。
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