韓国平和友好訪問2019 報告

韓国平和友好訪問2019 報告

【訪問の趣旨】
 1932年4月29日、当時の天長節の上海に於いて、韓国では日本植民地支配からの独立闘争の英雄と尊敬される尹奉吉(ユン・ボンギル)義士が、戦勝祝賀式壇上の日本侵略軍首脳に向かって爆弾を投擲しました。近代史に残る「上海爆弾事件」です。大陸侵略の中心部隊として名を馳せた金沢の第9師団が義士を捕らえ、処刑後秘密裏に野田山陸軍墓地崖下に暗葬しました。
 1945年日本敗戦後、遺体は発掘され、1992年12月19日(義士命日)、朴仁祚初代月進会会長主導の下、生地禮山郡月進会から揮亳を得て、暗葬の跡碑が設置されました。資金は、在日市民と日本人市民有志の募金によって支えられました。2008年12月19日には、永代使用許可の手続きが成り、今日史跡の保存活動は、月進会日本支部が継承しています。
 この近代の不幸な歴史を留める野田山の暗葬跡地を機縁として、私たちは、4月29日義挙記念日に執り行われる祭享(チェヒャン)に参列することをはじめ、月進会との間で活発な民間交流を展開してきました。2005年、郡守と市長、市議会議長と郡議会議長の相互訪問、2006年、禮山郡に本拠を置く李光壽率いる民族音楽院の金沢への来演などが実現し、以後、政治、文化芸術の幅広い交流を重ねながら、相互の信頼関係を築いてきました。2016年には、禮山郡の黄郡守が金沢を訪問され、暗葬之跡の存在と民間交流に深い感動を表明されました。
 今日私たちの交流は、2010年韓国併合からの100周年を経て、歴史認識の共有から東アジアの平和構築への共同行動へと新たな段階を進んでいます。2017年12月に初めて金沢市で開催した日韓共同学術会議の成功は、その到達点を印象づけました、
 本年は、韓国独立運動100周年の銘記すべき節目に当たり、第46回を迎える祭享に訪問団を編成し、金沢・禮山の平和連帯をさらに前進させたいと思います。

=主な日程=
 

    4月26日(金) 
  10:00  小松空港(23人)  

     12:00  小松空港出発 KE776便
     13:55  仁川国際空港着
        14:30  仁川国際空港発(ジャンボタクシー4台でホテルへ)
  15:30頃 ホテルチェックイン ドラゴンシティ イビススタイル ソウル龍山
                                   夕食 洪ジュンピョウ理事招宴(月進会 李佑宰名誉会長同行)
    4月27日(土)  
   8:00  朝食(外食)

            8:30  月進会手配バス迎え
   9:30  尹奉吉義士墓参・孝昌公園国立墓所
   午前中   堤岩里(ジェアムリ)見学(独立闘争弾圧の教会跡紀念館)
  12:00  昼食
       15:30  VIP温泉ホテル着
  16:00  忠清南道教育庁表敬訪問
  16:30  忠清南道教育庁主催歓迎宴(金ジチョル教育監)
  19:00  ミュージカル「尹奉吉」観覧  
         VIP温泉ホテル泊 (徳山温泉ホテル改修中)
 4月28日(日)  
   8:00  朝食(外食)

            金佐鎮紀念館見学
         祝祭広場催し参加
        12:00  黃善奉郡守主催昼食餐
        14:00  フェスティバルリハーサル・民族音楽院
     16:30  禮山郡議会晩餐
     18:00  東北アジア平和フェスティバル観覧
          (鼓民、盛本、高橋出演)                   
                                  VIP温泉ホテル泊

    4月29日(月)  
           8:30  朝食

    10:00  義挙87周年記念第46回祭享
             茶禮式参列
          87周年記念式(本部行事)参列
    12:00  昼食(会場内)
    午後     祝祭行事観覧、買い物  朴孝貴離団
    18:00  月進会主催晩餐
                VIP温泉ホテル泊
 4月30日(火)  
           7:00  バス出発

   7:30  朝食 禮山郡出発(月進会手配のバスにより 28人)
           9:30  独立紀念館表敬訪問、見学
  12:30  ソウル尹奉吉義士紀念館見学
          黄吉秀会長招宴
  16:30  ホテルチェックイン ドラゴンシティ イビススタイル ソウル龍山
         自由行動パコダ公園ほか3.1独立運動の地等見学
     18:00  夕食交流会(ソウル市内 龍山駅周辺)
 5月 1日(水)  
            6:30  仁川国際空港着、搭乗手続き (26人)

      8:25     仁川国際空港発 KE775便
        10:10     小松空港着 解散    

【4月26日】今年もやってきた 日韓市民連帯のスタート

 1919年3.1独立運動に代表される韓国民衆の命がけの反植民地抵抗運動は、韓国臨時政府の武装闘争として1932年4月29日尹奉吉の上海爆弾事件を促した。韓国憲法の前文には、臨時政府の精神に発すると明記されている。この100年の節目をどれほど韓国の人々が重視しているか、私たちは改めて学びたい。

 今年も再会できた月進会の李佑宰名誉会長はすこぶる健在で、高まる気分を抑えられない様子で尹奉吉祝祭の内容を語った。韓国鉄道に乗り、水産市場での招宴に臨む。水産会社社長洪ジュンピョウ理事のお志だ。

【4月27日】不都合な歴史をこそ直視する勇気から

 平和友好を市民間の連帯にと、今年も早朝、国立墓所の孝昌(ヒョチャン)公園に、尹奉吉義士を墓参した。文在寅大統領が参拝して、未だに遺体が見つからない安重根の土饅頭に墓石が建てられていた。独立運動100周年の機運が様々に韓国社会を動かしている。
 
    私たちは、初めて華城(ハソン)市に堤岩里(ジェアムリ)3.1運動殉国紀念館を訪ねた。のどかな農村に高まった万歳独立運動を弾圧するため、有田守備隊が村人たち23人を藁葺き屋根の教会に閉じ込め焼き討ちした史実だ。宣教師が義憤に突き動かされ遺骨を収集し、記者が世界に発信して明るみに出た。これ、即ち植民地支配抵抗弾圧の氷山の一角である。
 説明に当たる洪文化観光解説士は、展示、再現動画、23人を追慕するモニュメントから締めくくった。「赦すことはできるが、忘れることはできない。日本の皆さまには、記憶に刻んで欲しい。」
 紀念館裏手にある23人を葬った追悼墓にただこうべを垂れた。
     

 午後は、忠清南道教育庁に金シジョル教育監を表敬訪問した。ここでも大歓迎を受けた。
 10年前から導入された公選制で選ばれた金教育監は、3.1独立運動、大韓民国の国号、そして大韓民国臨時政府樹立から100周年、さらには歴史的な南北首脳会談1周年のこの日に訪問頂き感謝に堪えないと挨拶。忠清南道の教育方針は、民主社会を担う民主市民の育成である。その柱は、人権、民主、平和、教育自治にあり、速度ではなく方向が重要だと述べた。その言葉に、忠清南道でも民主化運動の反映を強く感じ感銘を受けた。因みに、忠清南道では、今年度より、学校給食無償化を導入している。社会民主主義的施策が力を得ている。
 忠清南道では、東北アジア平和を志向して、生徒の海外派遣、とりわけ中国ハルビン市、上海市など独立運動ゆかりの地との交流学習に多額の予算を配分している。月進会の海外交流活動がそのベースにある。
 偏狭なナショナリズムに閉じ籠る日本を尻目に、アジア各地は連携連帯を具体的に進めているのだ。日本の孤立化、孤独化が進んでいるのではないかと懸念する。

 夜、禮山郡の祝祭広場特設ステージで、その青年たちが躍動するミュージカル『尹奉吉』を観劇した。閉幕後、私たち訪問団が紹介され、田村団長、朴月進会日本支部長、私がスピーチの機会を得た。彼らの真摯な演技を賞賛し、「二度と不幸な時代、関係を招かないために、尹奉吉義士の平和精神に学び、市民同士のパートナーシップを築きたい。若者たちの躍動を金沢の若者にも伝えたい。」

 

 

【4月28日】祝祭ムードに祝意を受ける

 28日の尹奉吉義士生地禮山郡は、祝祭ムードが高まっている。祝祭広場では、住民参加の様々な催しが既に始まっている。
 午前中は、隣町ホンソンに金佐鎮将軍の紀念館を訪れた。旧満州青山里で日本海軍を撃破した将軍は、ヤンバン出身の社会運動家でもあった。奴婢を解放し、財産を投げ捨て清貧を生きた。
 しかし、この後の日本軍の報復討伐により、万単位の民衆が殺戮に会い、共産主義者に暗殺される。ときに歴史は複雑で皮肉だが、韓国近代史は日本の植民地支配との闘いの歴史なのだ。日韓関係史として歴史を観るときに、この事を忘れてはならない。

 昼餐は、黄善奉禮山郡郡守の招宴。驚いたことに、私の金沢市議選五選を祝し、3人の改選議員を代表して美しい花束を頂戴することになった。また、郡議会が催した晩餐でも、温かいお祝いの言葉を頂戴した。人間同士の心のつながりは何ものにも優る。深く感謝。

 さて、前夜祭は、平和フェスティバルコンサート。李光壽民族音楽院が主管するコンサートには、北朝鮮の芸能団、モンゴル民族音楽演奏家に混じり、我が訪問団から和太鼓グループ鼓民、篠笛の広瀬正英、尺八盛本芳久が出演した。この恒例の平和フェスティバルコンサートは、李光壽民族音楽院が主管する。
 今回は、和太鼓グループ「鼓民」が10年以上振りに、昨年に引き続き篠笛の広瀬雅英さんが、常連の尺八盛本芳久さんが出演。朝鮮出身の芸能団、モンゴル民族音楽と共にステージに立って、文化の力による平和連帯を高らかに謳い上げた。
 3.1独立運動・大韓民国臨時政府樹立100周年・尹奉吉上海爆弾事件から87周年。過去最大規模の訪問団29人は、メモリアルな韓国での日々をそれぞれに刻んでいる。
 
 

【4月29日】義挙の記念日に

 29日は、尹奉吉義士を追慕する茶禮式。主催は、尹義士が独立精神の発揚と農村復興を目的に創設した月進会。今日まで、私たちが交流を続けてきた社団法人だ。尹奉吉その人は、ヤンバンによる封建支配と日本帝国主義支配の二重の抑圧に義憤を抱く。ロシア革命に続く1919年3.1独立運動に触発され、独立運動に身を投じた。1930年、言葉を奪われていた農民ゆえにロールプレイングの教育で日本帝国主義の搾取を描いたことで憲兵に追われる身となる。彼は、母、妻子と別れて亡命し、上海にあった地下組織、大韓民国臨時政府に志願し、指導者金九に許され、4月29日爆弾投擲の戦闘員として上海虹口公園での日本軍戦勝祝賀式典に赴く。上海に派遣されていた第九師団の本拠金沢で処刑、暗葬となる。
 87年の歳月は、この植民地抵抗を歴史の事件として刻んでいるが、この歴史を矮小化し忘却させようとする政治的力が働いている。その原動力は、私たちにも大なり小なり内包されている偏狭なナショナリズム、排外的な民族意識だ。これを政治権力は利用する。私たちをこの縛りから解き放つのは、不都合な事実に出会い、向き合い、他者の痛みを共にする人間精神ではないか。他の参加者が引用している式典での田村光彰会長の挨拶は、まさに「日本人」たる私たち自身の戒めであろう。

 式典には、主催者李泰馥月進会会長に続き、地元選出洪ジュンピョウ国会議員、忠清南道知事、道議会議員、黄禮山郡守、郡議会議長など行政のリーダーたちがスピーチを行ったが、いわゆる「反日」、安部政権批判の一言も無い。だが、彼らは、独立精神、自主自立、民主主義を、100年前の命がけの苦闘、解放後の親日軍事独裁に対する民主化闘争の歴史的経験を踏まえて、人々に語りかける。彼らには、日本には無い「未来志向」を語る資格がある。その視線はアジアから世界の平和に向けられている。尹奉吉義士の精神の普遍化である。

 2006年尹奉吉義士共の会として交流を本格化させて以来、この平和友好を現代の自治体市民による平和連帯に深化させようと努力を重ねてきたつもりだが、その道のりはなかなか近づいてはこない。だが、茨の道を歩いているかのようでも、海を越えた友人たちとの深い人間的な結びつき、互いを慮る信頼関係に幸せを感じて活動できていることは、皆が感じている。

(功労者表彰を受ける半沢英一尹奉吉義士共の会理事)

  

【4月30日】独立運動100周年の重みと私たちの進路

 30日早朝、私たち訪問団は、諸祝賀行事を舞台にした月進会や禮山郡民との交流に一区切りつけ、ソウルを目指して移動。その道すがら、独立紀念館を表敬訪問し、独立軍の司令官を祖父に持つ李俊植館長、文化研究部長に昇格した尹素英さんからとても温かい歓迎を受けた。
 独立紀念館は、3.1独立運動100周年を紀念し、3.1万歳独立運動の展示を充実させていた。駆け足での参観の中で、尹部長が強調したのは、1919年全土に及ぶ3.1独立運動へと波及させたのが東京に留学していた学生による「2.8独立宣言」*であったことだ。
 この独立宣言は、民族の自主自立を人道・人権、平等、自由、世界平和という先駆的な普遍価値を基礎に正当化する。日本には人道に目覚めよと諭し自らには排他を戒める。誠に格調高い。当時の日本の民権主義者例えば吉野作造やキリスト教会が賛同した。青年の独立精神が青年尹奉吉義士の独立運動の源流である。

 屋内展示に先立ち案内されたのは、屋外展示「朝鮮総督府撤去部材公園」だ。李氏朝鮮・大韓帝国の宮城前面に建てられた総督府を1995年11月に撤去し、1997年5月から1年間かけて移転設置したものだ。コンセプトは、「植民地主義の廃墟化の命運」を表し、「未来の希望を共に語ろう」としている。尹素英部長の熱のこもる解説で、独立運動の歴史の必然と普遍性の表現がよく理解できた。

  
 

 歴史学習をメインにした訪韓の必要性を感じながら、私たちは最後の訪問地ソウル梅軒尹奉吉義士紀念館へと向かった。2003年からの議員生活スタートから数年、朴仁ジョさん、平田誠一さんと共によく訪問した場所だ。政府系機関尹奉吉義士祈念事業会の本拠でもある。豪壮な建物の前で、黄吉秀(ファン・ギルスゥ)会長が柔和な笑顔で出迎えてくれた。尹柱卿前独立紀念館長も共に。

 歓迎昼食会後の意見交換では、黄会長から三人の選挙戦への労いの言葉があり恐縮。その上で、会長は「この間韓日関係はいろいろあったが、未来志向で関係をつくっていくことを望んでいる。」と述べた。短いセンテンスの中で、法務省の要職経験者として、歴史認識を共にする日本の友人に対する配慮を滲ませたと感じた。未来志向という言葉は、被害者の側から述べられることにたいへんな重さがある。

 田村光彰訪問団長は、連年私たちを代表して、禮山郡の祝祭式典でメッセージを読み上げてきた。団内外でも高い評価を得たそのメッセージがこの場でも読み上げられた。私たちが歴史的に引き継ぐ今日的課題を明確にしている。

 韓国3.1独立運動100周年。今回の訪韓は、その世界史的な意味と日本社会の課題がよく理解できた。私たちの平和連帯の歩みは止むことなく進む。

「2.8独立宣言」*