韓国平和連帯の旅

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  今年も4月26日から5月1日まで、尹奉吉義士共の会が訪韓。独立運動家尹奉吉の生地禮山郡を訪れた。禮山に集うアジアの人々と彼の自主独立とアジアの平和精神を、困難な情勢にある東北アジアの平和の基礎にしようと話し合いを続けてきた。今回は、社民主義的な共有都市建設を進める朴元淳ソウル市長を表敬する。

 1932年4月29日、当時の天長節の上海に於いて、韓国では日本植民地支配からの独立闘争の英雄と尊敬される尹奉吉(ユン・ボンギル)義士が、戦勝祝賀式壇上の日本侵略軍首脳に向かって爆弾を投擲しました。近代史に残る「上海爆弾事件」です。大陸侵略の中心部隊として名を馳せた金沢の第9師団が義士を捉え、処刑後秘密裏に野田山陸軍墓地崖下に暗葬しました。

1945年日本敗戦後、遺体は発掘され、1992年12月19日(義士命日)、朴仁祚初代月進会会長主導の下、生地禮山郡月進会から揮亳を得て、暗葬の跡碑が設置されました。資金は、在日市民と日本人市民有志の募金によって支えられました。今日史跡の保存活動は、月進会日本支部が継承しています。

 この近代の不幸な歴史を留める野田山の暗葬跡地を機縁として、私たちは、4月29日義挙記念日に執り行われる祭享(さいきょう)に参列することをはじめ、生地禮山郡月進会との間で活発な民間交流を展開してきました。

 2010年韓国併合100年の節目以降は、東北アジア平和連帯シンポジュウムを開催し、相互信頼の醸成を基礎に、人間的な交流から不再戦と平和のための連帯へと新たなステップを積み上げています。(募集要項より)


ソウル南大門の夜 久しぶりにゆっくり時間が流れる

 総勢10人からなる今年の訪問団は、飛行機便の都合で例年より一日多い6日間の長丁場になった。ソウルに入った私たちは、久しぶりにゆったりとした時間をソウル中心部の明洞、南大門地区で味わった。
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 27日孝昌公園の朝。ソウル月進会李柱応さんと尹奉吉義士の墓参。ソウル市内の中学生たちが、国立墓所と隣接する臨時政府最高指導者金九紀念館に学習に来ている。こうして子どもたちは、日常的に受難の歴史を学び、歴史認識を育んでいる。同時代の関係史にある日本の子どもたちの学びとは格段に方向性が違っている。この溝は埋めなければならないと思う。国家主義の朴槿恵政権は、朝鮮戦争後の軍事独裁政権を美化する歴史修正主義の国定教科書を推進しようとして歴史研究者たちの執筆拒否という頑強な抵抗にあってもいると聞く。
 ところで、金九が望んだ国は、「力で外に広がる国ではなく、高い文化のきれいな国」と書き残している。「美しい国」を標榜する安倍政権は何に美を求めているだろうか、一同立ち止まった。

 李柱応さんは、社長を務める貿易会社の勤務を休み、この後、サンチュンドンの有名なすいとんレストラン、北岳展望台を一日ガイドして下さった。「余り行ったことのない韓国名所ですよ。」有力な政治家や大富豪たちが密談したレストランも覗いてきた。(笑)
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8 1228回目の日本大使館前水曜集会

 27日昼は、挺対協が開く元従軍慰安婦のハルモニへの謝罪と名誉回復を求めて1228回を数える水曜集会に参加できた。日本大使館は、改修工事中。「『慰安婦問題不可逆的合意』は、一言も相談なく、認められない。」ハルモニも参加者もそう訴える。「不可逆的解決、不可逆的合意、未来志向」いずれも、相手の意思を飛び越えて加害者側が言うべき言葉ではない。日本人として恥ずかしいし、容認しない。その意思を伝えてきた。日本人女性のサポーター、「週刊金曜日」の記者とも石川・金沢から来たと意見を交わした。

   夜は、禮山からわざわざ戻られた李佑宰月進会会長が、韓定食の素晴らしいレストランに招待して下さった。友情、尊敬、敬愛、国や民族の違いはなんのその。カムサハムニダ!
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 28日はソウルの住民福祉

 早朝から、李佑宰月進会会長夫人金ジェスクさんが創設したサルク女性会を視察。貧困地区の女性をエンパワメントする。資金不足にめげず、識字学級、無料児童給食、児童クラブ、生協ストア、社会的起業支援… 多種な援助プロジェクトに感銘を受けた。
 さらに正午、ソンミマウルに到着。ソンミマウルはソンミ山山麓に住まう住民の1割弱が出資し、社会的起業、自由学校、診療所、スーパー、レストラン、共同住宅などを営んでいる。山麓の住宅街では、子どもたちが遊び回っている姿に接した。これら住民による新しいコミュニティ運動は、地区開発に反対した住宅運動から生まれた。ソウルの市民自治を象徴。

 ソンミマウルのバイキングレストランで昼食をとっている時に、「戦争と女性の人権博物館」が近いと分かり、急遽参観することに。水曜集会で日本人女性スタッフから存在を聞いていたからだ。戦時性的虐待である「従軍慰安婦」の史実を被害者の側から明らかにし、尊厳回復への道のりを積極的に発信する優れた施設ポリシーだった。

大都市ソウルに息づく市民自治の系譜

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 28日18時。初めて表敬が実現した朴元淳市長は穏やかで物静かな人だった。「市民による平和運動は、国同士の葛藤で困難に直面するが、それを越えて相互連携してきた。それが平和共存の力になってきた。皆様のような市民の活動に敬意を申し上げる。」市長は、日本の平和運動、脱原発運動のリーダーとの出会いからの学びとEUの経験を引いた。そして、ソウル市政はまだ始まったばかりだと決意を表明した。

IMG_6345  28日は、一日かけてたっぷりと人々の暮らしをつくり支え合う営みに触れた。全行程を一日伸ばした賜物だった。
 通貨危機に見舞われ、緊縮強要の国家経済と大規模開発の李明博市政に翻弄されながら、志高いソウル市民は、人の尊厳を支え合うまちの仕組みをつくりだしてきたのだった。
 サルク女性会もソンミマウルも、共通していたのは、行政発ではなく、時にそれと闘いながら住民自らが時間と労とお金までつぎ込んでここまで来たという点だ。そして、主人公は住民自身であることに拘っていることだ。そうした市民的自立性と繋がって行動に移す力があってはじめて市民運動家朴元淳市長を生み出せた。

〔サルク女性会の事業 起業〕
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〔子ども食堂、児童クラブ〕
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〔ソンミマウル〕
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〔戦争と女性の人権博物館〕
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半年がかりの表敬対談の実現だった

33 李明博政権、朴槿恵政権が国家主義を強め、ネオリベラリズムを加速化する韓国の首都で、全くベクトルを逆にする市政が動いていると驚きの情報を得たのは、彼が補欠選挙で勝利して数ヶ月後だったと思う。
32 そこには、職員、交通局の職員正規転換、学校給食の無償化の文字が踊っていた。私は、ソウル市の公式ホームページに何度もアクセスし、その根本理念は、市民運動であり、市民とは、働く者とその退職者により構成されていると定義づけていることを知った。もちろん働けない人を市民から除外しているという意味ではなく。
 徹底した市民との対話、市民の権利保障、市民の意見表明から市民参加は、当然の帰結だろう。共有都市は、所得を再配分し、富を共有する仕組みだ。正規転換は、財政状況を好転させるという、「非常識」を生み出している。福30祉は出向いて提供する。そのためには、職員を増員してでも地域に派遣する。
 私は、「金沢国際地方政府宣言」起草ワークショップで、くるま座の仲間たちに朴元淳市政を紹介し、宣言に一部反映させてきた。昨年11月、月進会の招きで禮山郡で東北アジア平和連帯国際シンポジウムに参加する際に、李佑宰会長に表敬対談を懇請したが、市長訪中で実現しなかった。その際書いた面談要請書と報告原稿が朴市長に届けられ、李佑宰会長自らが複数回秘書課に赴き、調整を重ねてこの度の表敬実現に結びついた。たいへんなお骨折りだったと思う。深く感謝を申し上げる。

 

29日は尹奉吉義士を慕う祝祭「祭亨」

 彼の古郷禮山郡は、伝統を大切にしながら、世界に開いている。それは尹奉吉の精神。子どもたちが確かに学んでいた。29日義挙の日、黄ソンボク郡守の招宴。就任後初めての5月25日からの外遊に金沢が選ばれた。それは、金沢は尹奉吉義士の聖地だからだ。受け入れ体制に努力する。
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おお、モンゴルの恩人ビャンバ! ナムジルドルジ!
黄ソンボク郡守の歓迎の挨拶       風邪で行けなかった永眠する尹圭相名誉会長の墓参

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環境とスローライフのコミュニティ禮山

 鸛・コウノトリ繁殖は、自然有機農業をもたらす。大興(テエフン)にも、スローライフをまちづくりにする住民運動がある。農村住民が絵画や造形活動にいそしみ、地域のギャラリーで展示会が行われていた。また、地元食材で自炊するコンドミニアム風の古民家活用。そこでおいしい昼食を振る舞われた。実に住民は生き生きとしている。

 5月25日黄郡守を、そして6月はじめ金沢市祭に月進会来訪団を迎える。また温かき人々と会える。

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