非戦・平和をあくなく求む

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金沢を世界に誇れる平和都市に

 「憲法九条を世界遺産に」、「憲法九条にノーベル平和賞を」そんな運動が、世界の人々の共感を呼び起こしつつあります。私の夢は、ジュネーブ条約を根拠とする「非戦平和条約(仮称)」を金沢市で制定すること。

 「伝統」「文化」に加え、「平和」も金沢の新たな資産に加えたい。
 平和を先導するまち … そんな世界に誇れる都市にしたいと思います。 

 

非戦・平和

 多くの識者が指摘するように、いま日本は戦争への坂道を転げ落ちつつあります。単なる一内閣、一総理の解釈で憲法がゆがめられてはなりません。

 国政が生活者の声を受け止める機能を失ってしまっている今だからこそ、市政は言うべきことを言わねばならない。私が構想する暮らしを支える政策も、平和あってのもの。「非戦・平和」は、決してゆずれません。

 

脱原発

 福島第一原発の事故は、核エネルギーと人類は共存できないことを私たちに示しました。多くの国民が「脱原発」への思いを強くする一方で、日本政府や財界は民意を無視し、原発再稼動を進めようとしています。

 志賀原発からわずか約50kmの金沢市にとって、再稼動の問題は他人事ではありません。市民の声を集め、県と国に脱原発とエネルギー政策の転換を働きかけていきます。

 

教育

 20数年にわたり小学校教諭として子どもたちと接してきた経験は、私の政治・社会活動の原点です。政府が進めてきた学校教育への「競争原理・市場原理の導入」は、さまざまな弊害を子どもたちと教育現場にもたらしています。

 競争と効率を優先する教育によって、子どもの多様な能力や感受性が無視され、学び考える意欲も損なわれつつあります。違いを認め合い、ともに学び育つ教育、本当の意味での生きる力を引き出せる教育の環境を整えます。

 

非戦平和政策の集約としての
「金沢国際地方政府宣言」ー第1稿ー(市民の政策研究会編)より

第2章 誰もが平和のうちに生きられる非戦平和都市金沢

~地方政府の平和・外交政策~

  「平和なくして人権なし」「平和こそ最大の福祉なり」。近代化をアジア侵略の時代として送ってきた日本は、広範なアジア太平洋地域でおびただしい殺戮と破壊をほしいままにしたあげくに、310万人にも及ぶ国民を犠牲にして敗戦した。幸いにして金沢は戦禍を免れたが、アジア侵略の軍都であった。このことは、「市民の歴史観」でくわしく述べてきたが、その痛切な認識を原点に、地方政府としての平和・外交政策を構築し、非戦平和都市金沢を創造したい。

 平和憲法の下、金沢も1985年に「平和都市宣言」を採択し、7カ国の自治体と姉妹都市提携を結んで平和のための友好交流に努めてきた。これは市民の財産である。

 しかし、後に述べるように、不戦の誓いを危うくする「戦争をする国」への流れが加速している今日、より明確な意志を持った多面的で具体的な非戦平和施策が求められる情勢にある。戦後の財産を引き継ぎ、住民市民が主体となる「金沢国際地方政府」は、日本国憲法の前文に明記された「平和的生存権」を市民に保障し、戦争政策への協力を拒否する。同時に、世界人権宣言、金沢が創造都市ネットワークに加盟するユネスコ憲章などの国際規範を体現し、平和のための国際連帯を先導する。

 

 「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」

 この憲法第9条が、今日ほど危うい状況に陥ったことはない。それは言うまでもなく、2014年7月1日に、安倍内閣が、閣議で集団的自衛権行使容認へと憲法解釈を変更したことによる。敗戦から69年間、憲法施行から67年間、少なくとも、他国で武力を行使せず、直接戦争によってひとりも殺さず、殺されず、殺させずにきた平和国家日本が、戦争をする国に変貌しようとしている。

 この流れは、冷戦体制の崩壊後、アメリカ中心の新自由主義的グローバリズムが、「国際安全保障」の名で日米安保体制を世界的規模に拡大することを求める中で、日米ガイドライン改定と共に加速化してきた。内外で喧伝された「国際貢献論」の実態は、自衛隊の米軍との一体化と海外派兵を指向するものである。具体的には、周辺事態法、武力攻撃事態法、国民保護法などの有事立法であり、アフガニスタン対テロ戦争、イラク戦争への自衛隊派遣であった。この中で、自衛隊が後方支援の一環として米軍の兵員輸送をおこなったことは、名古屋高裁で憲法違反として確定している。にも拘わらず、それは今日、歴代政権自らが厳しく戒めてきた集団的自衛権の行使容認の解釈改憲に行き着く「積極的平和主義」へと引き継がれている。

 この背景には、退潮するアメリカに、米軍の補完軍事力として自衛隊を活用したいとの思惑があると共に、海外に権益を拡大してきた日本の財界にも自衛隊の海外展開を望む声があることを見落としてはならない。

 また、安全保障上の国際環境の変化として、中国の海洋進出や軍事的台頭が脅威となっているとの意見がある。私たちは、いかなる国の軍事的拡張主義も覇権主義的外交も容認しない。しかし、あくまで、隣国中国とは歴史を踏まえた冷静な対話と、平和主義を国是とする日本にしかできないバランスある平和仲介外交で対処するべきである。決して、軍拡競争から抜けられない「安全保障のジレンマ」に陥ることがあってはならない。「武力で平和はつくれない」国家による武力行使では平和をつくれないことは、歴史の教訓である。よって、自治体こそが、非軍事平和解決の担い手であらねばならないのである。

 ところで、国内政治においては、この時代は、地方分権推進の時代と重なる。地方への権限委譲の必要性が叫ばれるにつれて、福祉をはじめとする民生分野は地方が担い、外交・安全保障は国の専管事項であるとの役割分担論が強調されてきた。実際に、地方分権一括法の中で、法定受託事務ばかりではなく自治事務においても、国が自治体に安全保障措置への協力を事実上強制できると読める法改正や自治体の関与権の剥奪が散見できる。

 国家に外交・安全保障を専管事項として委ねて、果たして自治体が、市民の平和のうちに生きる権利を保障することができるのか、歴史を洞察し、厳しく問い直す必要がある。

 とりわけ、私たちは銘記しておきたい。自治体には、平和憲法や地方自治法の基本理念、さらには国際人道法などの国際法に基づき、住民の平和的生存権保障のために抵抗する権利がある。具体的には、平和憲法の理念が具現化された土地の軍事利用禁止原則がある。また、非軍事平和利用の徹底を求める港湾法には自治体に許認可権を与えている。これらを駆使し、神戸市では、神戸市議会の議決により、核搭載艦の入港を拒否する「非核神戸方式」が今日まで機能している。

 また、ほとんどの自治体で、「非核平和都市宣言」が採択されてきた。これを理念や道義的宣言に止めず、藤沢市や苫小牧市のように法的拘束力を持たせる非核平和都市条例を制定した先駆的なとりくみに注目したい。このような自治体における立法権によって、有事法制下で万が一戦争に巻き込まれるようなことがあっても、それに参加協力せず、住民が戦火に見舞われることを防ぎ、平時から平和的な都市や地域社会づくりにとりくむ住民運動が広がってきた。

 それは、国際人道法であるジュネーヴ条約第1追加議定書第59条の「無防備地域宣言」に依拠し、違法な攻撃が禁止される無防備都市を条例によって実現させるものである。同追加議定書第59条は、「いかなる手段によっても紛争当事国が無防備地域を攻撃すること」を禁止し、その無防備地域に4つの条件をあげている。(a)すべての戦闘要員並びに移動兵器及び移動軍用設備は、撤去されていなければならない。(b)固定の軍用施設又は営造物を敵対目的に使用してはならない。(c)当局又は住民により、敵対行為がなされてはならない。(d)軍事行動を支援する活動が行われてはならない。

 また、同追加議定書は、軍民分離原則により被害が一般住民に及ばないようにすることや文化財の保護をも求めている。この国際条約に依拠する平和都市づくりは、一国内の平和のみを優先するものではなく、侵略や国際紛争の武力解決の否定により、戦争の違法化、世界平和の道に貢献しようとするものであることを肝に銘じておきたい。その責務はまさに平和憲法を持つ日本の責務である。憲法理念に合致する国際条約の遵守義務、平和的生存権や自治権を尊重する観点から、国はそれを自治体が主体的に実施することを積極的に肯定し、その条件整備に尽力すべきである。

 無防備都市の条例化運動は、国立市や箕面市をはじめ全国各地に拡大しており、住民の条例直接請求署名は、法定数を遙かに超え、制定こそ実現していないものの、議会提出までこぎ着けている。

 尚、私たちは、これらの住民運動の先達として、1973年川崎市が制定を試みた「川崎市都市憲章条例」案が、その第1章を「平和・市民主権・自治」と名付け、第1章「都市の平和」において、「平和権」「平和都市の建設」「国際都市連携」を掲げていることに平和を希求する住民自治の先駆性をみてきた。

 私たちが構想する「国際地方政府金沢」は、歴史文化都市であり、地政学上も歴史上もアジアに向き合う自治体として、1985年採択の「平和都市宣言」を発展させ、仮称「非戦平和条例」の制定を軸に、平和を先導する包括的で積極的な諸政策を実施する。それにより、東北アジアの平和連帯に自治体、住民として参画し、国境と民族を超えて誰もが平和のうちに生き、人間の尊厳を擁護発展させられる平和都市建設に邁進する。

 1.無防備地域宣言を含む仮称「非戦平和条例」制定、戦争非協力、市民の平和的生存権保障、アジアに開かれた平    和連帯を推進する国際平和都市金沢の実現

2.姉妹都市交流を平和のための国際連帯事業として位置づけ

3.県内各大学、さらには国連大学オペレーションユニット、ユネスコ創造都市ネットワークなどとの連携により東アジアの姉妹友好都市蘇州市、全州市、イルクーツク市、大連市、さらには韓国禮山郡を結んだ近代史共同研究センターの設置、アジア共有の歴史認識の醸成 金沢版平和教育副読本を子どもたちに提供

4.ユネスコスクールネットワークを生かし、平和・人権・共生の教育を奨励
  学校現場や地域社会での平和教育支援

5.各地域に遺る戦争遺跡・史跡の整備、地域での戦争体験の継承促進

6.平和市長会議への積極的参画 国際的に自治体が主導する核兵器廃絶のとりくみ推進、
  仮称「非戦の自治体ネットワーク」を呼びかけ、中央政府の戦争政策に反対抵抗、市民の平和的生存権擁護

7.住民、市民の平和のための活動尊重、市民運動の交流と共同支援、公共施設、公共空間の開放

 末尾に、改めて私たちの規範として確認したい各前文を引用しておく。

〔日本国憲法前文より〕

日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

〔世界人権宣言前文より〕

人類社会のすべての構成員の固有の尊厳と平等で譲ることのできない権利とを承認することは、世界における自由、正義及び平和の基礎であるので、

人権の無視及び軽侮が、人類の良心を踏みにじった野蛮行為をもたらし、言論及び信仰の自由が受けられ、恐怖及び欠乏のない世界の到来が、一般の人々の最高の願望として宣言されたので、・・・

よって、ここに、国際連合総会は、

社会の各個人及び各機関が、この世界人権宣言を常に念頭に置きながら、加盟国自身の人民の間にも、また、加盟国の管轄下にある地域の人民の間にも、これらの権利と自由との尊重を指導及び教育によって促進すること並びにそれらの普遍的かつ効果的な承認と遵守とを国内的及び国際的な漸進的措置によって確保することに努力するように、すべての人民とすべての国とが達成すべき共通の基準として、この世界人権宣言を公布する。

〔ユネスコ憲章前文〕

戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない。・・・文化の広い普及と正義・自由・平和のための人類の教育とは、人間の尊厳に欠くことのできないものであり、 かつ、すべての国民が相互の援助及び相互の関心の精神を持って、果たさなければならない神聖な義務である。・・・政府の政治的及び経済的取り決めのみに基づく平和は、世界の諸人民の、一致した、しかも永続する誠実な支持を確保できる平和ではない。よって、平和が失われないためには、人類の知的及び精神的連帯の上に築かれなければならない。