1.視察にあたって
私の議員としてのライフワークは非戦・平和社会の創造であり、人権社会の推進である。 それは、私の包括的政策と議員の基本姿勢として、付託を受けた多くの有権者の方々からその実現が求められているものと受けとめている。
日本国内の自治体で平和行政と言えば、広島市、長崎市を連想するだろう。しかし、金沢市も非核平和都市宣言を採択している。市長は「戦災なき歴史文化薫る平和都市」と自負する。私の認識は、それだけではない。金沢は、明治維新以降大陸軍事政策の精鋭部隊である第九師団、歩兵第七連隊の本拠をもつ軍都であった。その歴史を踏まえた平和都市としての政策ははっきりと見えてこない。
地方分権・地方主権を唱えながら、有事法制により戦時体制に自治体を巻き込むしくみを整えつつある時代状況にあって、非戦平和条例を見据え、住民の「人間の安全保障」の観点から平和・人権行政を具体化させていく自治体認識・組織・機能をここ金沢につくりだしたい。そのため、議員の調査権による個人視察第1段として、豊中市、広島市を視察対象自治体とした。議会事務局の照会の労に感謝したい。
2.視察日程
| 1月19日(月)大阪府豊中市 |
人権文化部、人権文化まちづくり推進室、人権企画課での施策説明
豊中人権まちづくりセンター視察
非核平和都市宣言モニュメント、豊中市出身峠三吉「にんげんをかえせ」詩碑、人権擁護都人権文化部、人権文化まちづくり推進室、人権企画課での施策説明
豊中人権まちづくりセンター視察
非核平和都市宣言モニュメント、豊中市出身峠三吉「にんげんをかえせ」詩碑、人権擁護都市宣言モニュメント視察 |
| 1月20日(火)広島県広島市 |
国際平和推進部、外郭団体広島平和文化センター国際部平和連帯推進課での施策説明
広島平和祈念資料館参観
広島県日中友好協会青年委員会由木栄司さんとの交流、教育基本法改悪反対の広島での運動について |
| 1月21日(水) |
元731部隊員小笠原明さんとの再会 |
3.豊中市視察
(1)豊中市の人権文化のまちづくり推進施策について
議会内応接室で私を迎えてくれたのは、人権文化まちづくり推進室長兼人権企画課長の西村友正さん、課長補佐の平田朋枝さん、そして阪口剛さん。関西の人権行政を先進的に走っ ているとの自負と課題意識に熱を感じさせる三世代の職員から説明を受けた。
豊中市は、1983年に非核平和都市宣言を、翌84年に人権擁護都市宣言を採択している。その具現化たる人権施策は、人権文化部の人権文化まちづくり推進室が、平和施策は、人権文化部の文化芸術・国際化が担当課である。
豊中の文化行政を統括する部が人権文化部であり、市民活動課と人権文化まちづくり推進室により構成されている。つまり、同和対策に留まるのではない文化行政全体を人権という価値観で包摂している組織構成なのである。庁内組織に豊中市の基本姿勢が表明されている。
@ 人権文化のまちづくりをすすめる条例
その豊中には、人権擁護都市宣言をさらにすすめた標記条例が1999年に施行された。ものの見方を人権尊重の視点から問い直し、共に生きる豊かな関係を育み、人権尊重が当たり前のこととして受け入れられる人権に根ざした文化を創造することを通して、すべての人が自由に安心して、いきいきと生活できるまちの実現を目指す、と謳われている。
A 人権文化まちづくり推進室
その実現を目指す施策の中心を人権文化まちづくり推進室の中の人権企画課が担っている。91年に同和対策室と人権啓発課が統合され、現在7名の職員が配置されている担当業務は広範である。同和対策審議会、市同和行政推進本部、市人権啓発推進会議にかかわる事務、2カ所の人権まちづくりセンター運営、市人権教育推進委員協議会、「広報とよなか」、ケーブルテレビスポット、市民講座、企業啓発など市民啓発各種事業、職員研修等。
B 豊中市人権啓発推進会議
豊中市では、人権文化のまちづくりを全庁的に推進する部局横断の推進組織として、人権啓発推進会議を1988年から設置してきた。現在8部局26課が、同和問題、女性問題、障害者問題、国際交流、高齢者、子ども、識字、文化行政、生涯学習、啓発の各領域について、啓発事業を担い、情報交換・連絡調整しながら施策を進めている。会議は、年に一回開催が原則である。会議の構成は議長・副議長に助役・教育長、各部部長と教育次長の12人からなり、実務的運営は、人権文化部長を委員長とする29人の各部当該課長からなる主担者会が担っている。これまで、人権に関する市民意識調査の実施、結果分析、人権啓発総合誌の隔年発行、答申「総合的人権施策のありかたについて」の説明会などを行っており、今年度は『人権白書』の作成について協議している。
各部が主体的に人権の視点から各事業を展開するようになることを目的としているが、なかなかそこまで行っていないと率直に現状を報告された。
C 人権文化のまちづくりをすすめる協議会答申
2001年3月に市から諮問を受ける。龍谷大学の上杉孝實教授を会長とする協議会、は18回の全体会と4回の起草委員会を重ねて2003年1月に答申を行った。人権教育・啓発を通じ、人権文化の確立を図る。広く人権侵害に対する相談・救済体制として、第三者機関を設置する。政策形成過程に市民参画・市民との連携をすすめる。すべての部局が人権文化を担当しているという意識としくみをもつ。以上が答申の柱である。
D 豊中市外国人市民会議設置準備会議
豊中に住む外国人の人権尊重、相互理解、共生を課題として、外国人市民会議の設置を目指している。豊中の特に進んだ側面を見た。設置準備会議は、2003年2月から設置され、在日韓国人はじめ外国人市民、日本人市民、豊中市関係者計12人が市民会議設置に向け協議を開始している。
そのベースになったのが、2000年11月に市から諮問を受け、1年4ヶ月間の意見交換の後、提言「外国人市民の市政参加について」を行った豊中市外国人市政参加検討委員会であった。提言には、豊中での外国人定住者の比率や状況を紹介し、地方参政権が付与されていないという国の現状について問題を提起している。その上で、外国人市民アンケートに示された多様な意識を尊重した豊中の共生社会づくりのために、地方参政権の国籍条項、その他残されている分野の国籍条項、「外国人豊中市民権」の提唱などについて審議された。そして、外国人市民が直接意見を表明できる場として、「外国人市民会議」
が設置されることとなったのである。地方参政権の保障について市民会議で議論がすすんでいるのかとの質問には、「率直に言って委員間の意識に温度差がある。」とのことだった。
(2)平和行政
2003年は豊中市非核平和都市宣言20周年の年であった。それを記念して8月6日、広島の被爆アオギリと長崎で被爆したクスノキの種から育てられた二本の苗木を植樹した。苗木は日本非核宣言自治体協議会から寄贈された。また、豊中市在住の被爆者から被爆体験のお話し会が市役所庁舎で開かれている。その前後の5日間、同会場で原爆パネル店も開催されている。これらは、人権文化部の文化芸術・国際課が主管した。
豊中市では、8月を平和月間と定め、毎年月間のイヴェントを行っている。文化芸術・国際課が発行した平和月間イヴェント案内には、豊中平和映画祭、講談師旭堂南の公演、nパネル展「難民」、戦争と平和の本展示・貸し出し(各市立図書館)、在日外国人が見た日本と題する講演会、戦没者並びに空爆犠牲者追悼式、平和標語募集など多彩な催し物が行われている。
(3)広報活動
豊中には、『広報 とよなか』が月間で発行されている。その中に「ひゅうまん通信」という人権を特集するページが確保されている。2001年8月は、豊中市出身の著名な反核詩人峠三吉取り上げられている。
特集を時系列的に抜粋紹介すると、2001年3月「職場、地域、家庭での男女の対等な関係づくり」、5月「差別のない、一人ひとりの人権が尊重されるまちをめざして」、7月「中国から来た子どもたちの声」、12月「障害者もみんな地域の仲間」、2002年2月「一人で悩まないでドメスティック・バイオレンス」、3月「人と人が出会い、つながる場」、7月「外国人市民にも暮らしやすい地域社会を」、12月「精神障害者が地域でともの暮らしていくために」、2003年8月「文字を学んで広がる世界」、12月「わたしたちも働きたい精神障害者の就労を考える」そして、2004年1月「知ってください性同一性障害」
編集に当たっている人権企画課は、相当の思い入れを持ち、多忙な中努力を続けている。 1月の特集には、賛否が有ったようだが、タブーを無くし、市民に考える機会をつくろうと思い切って特集に組んだとのことで、当事者の市民から勇気づけられたと感謝のメールが届いたことにたいへん喜んでおられた。
(4)豊中人権まちづくりセンター視察
豊中市では、旧解放会館が二館、現在人権まちづくりセンターの名で運営されている。そのうち豊中人権まちづくりセンターを視察した。ここは、4階建てで最上階に小ホールをもつ立派な建物である。ホールでは、人権啓発の研修会や子ども会のイヴェント、地域住民の文化活動などに利用されている。3階は、児童クラブで小学生の子どもたちが放課後を過ごしている。その子たちとちょっとした会話を楽しんだ。「石川県ってどこ?」
センターに隣接して、ディケアセンターと保育園が設置されている。保育士の一人は市職組の女性部長さんががんばっておられた。
小矢部市出身という館長の高木弘志さん、館長補佐の徳山輝幸さん、主幹の乾重美さんからまちづくりセンターについて説明を受けた。地域対策特定事業の期限終了、地域改善対策協意見具申を受け、解放会館を人権文化のまちづくりセンターと改称した。
事業の最大の目的は、センターを同和地区住民だけではなく地域住民が広く利用し、住民間の交流が促進されることにより、差別意識が解消されていくことであると強調された。センター移行後は、確かに一般住民の利用が増えたが、施設での活動を通じての交流はなかなか進んでいないと率直な悩みも言われた。センター側では、ふれあい夏祭りを軸に、垣根をなくし、とけ込んで、地域から人権文化を生んでいくとりくみに力を注ぐとのことである。
(5)各モニュメントの印象
「平和の呼び笛」と市民公募で命名された非核平和都市宣言のモニュメント、峠三吉の「人間をかえせ」の詩碑、人権擁護都市宣言シンボル、三つの願いのモニュメントを見て回っ た。駅前や図書館前など、市民が行き交う場所にそれらは芸術性を備えて建っている。
もちろん宣言が施策として具現化することが大切で、形式的にモニュメントが建っておればよいということではない。しかし、豊中市はそうすることによって、普段に市民に意識化と市民の参画を促しているのである。金沢市は、非核平和都市宣言に関する標示物は一切設置していない。施策もいかにも貧弱である。
4.広島市視察
(1)国際平和推進部での施策説明
広島市庁内組織に位置づく市民局国際平和推進部平和推進担当課長の及川享さんが、平和施策全般にわたって説明に当たってくれた。彼は、外郭団体広島平和文化センター国際部 平和連帯推進課長も兼務している。被爆地ヒロシマから世界に平和を発信しようとする基本姿勢が庁内組織に鮮明に表れている。
私の手元に新任職員研修会用にまとめられた2003年度「平和への取り組み」があるが,説明はこれに沿って行われた。
「平和都市ヒロシマ」の原点は、1949年に憲法第95条に基づく特別法として制定された広島平和祈念都市建設法にある。現在は国際平和文化都市を都市像として、第4次基本計画(1999年)の下、2010年度までに計画の履行に努力されている。
「平和を創り出す、世界に開かれた都市の創造」の柱立ては、世界平和の創造への貢献と銘打ち、@被爆体験の継承 A核兵器のない世界の実現に向けた取り組みの推進 B平和の創造 C市民がつくりだす平和の推進 の4つの基本方針である。
@被爆体験の継承
被爆者の高齢化、被爆体験の風化・若い世代の平和意識の希薄に危機感を持ち、2001年度から被爆体験継承推進プログラムを作成して全庁的な連携の下で体験継承を推進している。具体的には,平和学習の強化、修学旅行の誘致・支援、被爆体験の学問的整理などが中心である。学問的整理とは、ヒロシマ・ナガサキ講座を世界の大学にひろげることである。国内では広島市立大、修道大,早稲田大に続き、国際キリスト大,関西学院大が準備に入っている。また、パリ、モスクワなどでの国際会議で講座内容の検討が行われる予定である。
修学旅行などで広島を訪れる児童生徒は、昨年度34万人の来広者のうち40%程度出ある。来広者全体のピークが57万人であった頃から減少傾向である。体験継承課が観光課と観光業者と連携して誘致活動を行っている。長野県の田中知事はこれに賛同し、積極的に奨励してくれているとのことである。石川県、金沢市でも広島修学旅行が減っていることは教研集会でも話題になってきたことを思い出す。
民間や市民との連携では、ヒロシマ・ピース・ボランティア事業が実施されている。平和祈念資料館,平和記念公園での解説ボランティアを養成し、昨年度初めで128人が登録している。中には外国人ボランティアもいるとのことである。
A核兵器のない世界の実現に向けた取り組みの推進
秋葉市長自らが核兵器保有国の国会議員や大学学長に出向き、核兵器廃絶のメッセージを伝える アクション21「核兵器保有国への平和メッセージの伝達」が展開されている。2001年度はフランス,イギリス2002年度はロシア、アメリカを訪問している。2003年度はインド、パキスタンである。
また、海外での原爆展を19カ国で実施している。
核実験抗議は1968年以降続けられており、平和祈念資料館に展示コーナー設置されている。通算抗議回数585回。1996年CTBT(包括的核実験禁止条約)以後は米英ロの臨界前核実験に対しても抗議文を送付している。
世界平和都市連帯の取り組みの中軸は、1983年1月に呼びかけられた平和市長会である。平和市長会は国連憲章に基づくNGOである。105カ国・地域542都市が加盟しており、2001年の第5回総会(広島市・長崎市)で、2020年までの核兵器廃絶に向け「緊急行動2020ビジョン」が策定された。2004年4月のNPT再検討会議準備委員会をステップ1とし、8月の広島・長崎デーがステップ2、2005年のステップ4で2020年までの廃絶プログラムを策定するための交渉を開始しようというものである。この平和市長会議は、正副会長が広島市長、長崎市長であり、事務局は広島平和文化センターに置かれている。
B平和の創造
特に注目したいのは、平和情報の受発信である。内訳は、インターネットによる平和情報の発信、平和宣言の普及、国内ジャーナリスト研修である。インターネットサイトには「ヒロシマ・ピース・サイト」が開設されてきたが、2000年度に子ども向け平和学習ホームページ「キッズ平和ステーション」を、2001年度には「広島平和祈念資料館バーチャルミュージアム」を稼働させている。
国内ジャーナリスト研修は、若手国内ジャーナリストに旅費を負担し、被爆の実相の基礎的な知識や被爆地広島の課題等を総合的・体系的に学ぶ研修プログラムを設置した。2003年は7人の記者が研修に参加し、被爆祈念の夏、数日の連載記事を書いているということである。
C市民がつくりだす平和の推進
施策の核は青少年の平和意識の醸成にある。そのため、18才以上を対象とした取り組みと小・中・高校生を対象とした取り組みに分けて参加型の取り組みが実施されている。 2002年度は18歳以上の市内在住・通勤通学者を対象に、「ヒロシマ・ピースフォーラム」を開設し、40名が参加、講演、グループ討論等を行った。小学生を対象に夏休みを利用して戦争の悲惨さや平和の大切さを学ぶ機会を提供する「キッズ・平和スクール」や小・中学生を対象とした「子どもたちの平和の絵コンクール」などを開設している。また、中高生を対象にグループによる研究発表を行う「中・高校生ピース・クラブ」を開設している。被爆体験継承推進プログラムに基づき、教育委員会も「こどもピースサミット」の開催や地域の被爆体験・戦争体験者からの継承学習などを実施している。
(2)あらためての広島平和祈念資料館参観
施策説明に先立ち、先に述べたピースボランティアの長谷川さんのガイドにより、平和祈念資料館を参観した。私より年下であろう若い女性ガイドさんのガイドは非常に真剣な表情で真摯な態度であった。ボランティアとしての使命感を感じさせられた。侵略史展示資料への外部からの圧力はないかとの問いには、質問の意味が理解されなかったようだが。
何度目かの資料館だったが、拡充整備されており、ガイドの説明でポイントがよく把握できた。
(3)広島市の体制
被爆都市ヒロシマにおいては平和施策においては議会は超党派であると述べられた。現在の秋葉忠利市長になって、対米従属の政府批判、アメリカをはじめとした核保有国への批判がより先鋭である。市民に支持された首長にはかなりの裁量があり、ポリシーを施策に反映できる。その広島市の平和関連予算は12〜13億円である。そのうち4億円が資料館の運営費である。職員・研究員併せて20名程度、広島平和文化センターには100名が関わっている。5000億円の予算の中での関連予算0.24%である。金沢に引き当てれば4億円程度である・・・。
(4)由木栄司さんとの交流
公式視察を終え、夜、久しぶりに呉の由木栄司さんと再会し、夕食を共にできた。日中友好協会青年委員会の代表として、JP労働運動の傍ら反戦・平和運動の市民運動も活発に展開されておられる。広島の地酒を楽しみながら、広島県教委の学校現場への弾圧の状況や教育基本法改悪阻止の市民集会の準備などについて熱く語った。彼は、右翼が問題にしない程度の侵略記述ではいけないと、展示内容の強化を資料館に申し入れる意向も語った。
5.元731部隊員小笠原明さんとの再会
今回の視察の秘めた目的は、元731部隊少年隊員の小笠原明さんとの面会であった。被爆者沼田鈴子さんとの出会いから決心し、タブーであった731部隊の体験を侵略加害の立場から証言し、当時の上官や同僚に証言への協力を求める全国行脚にとりくまれた。1994年のいしかわ731部隊展の折り、初めて金沢で証言され、彼のひたむきな生き様がNHKナビゲーションに「巡礼の旅」と題されて放映された。小笠原さんには、97年10月金沢で南京大虐殺絵画パネル展を開催したとき、我が家に3泊され、三和小学校の私の5年生クラスに立ち寄って、給食を共にしてくださった記憶が懐かしい。小笠原さんを快く迎え、証言に協力された田部さんもすでに他界された。病気の進行の噂も聞こえ、居場所がわからないまま6年が経過していた。
広島の方々の連携のおかげで小笠原さんの所在が分かった。
6年ぶりに再会した小笠原さんは、言葉をほとんど発せられなかったが、私の顔を見たとたん涙を流され、言葉かけにうなずきで応じてくれた。あの当時の火の出るような全戸行脚の毎日が体に無理をかけ、病気を進行させたのではなかろうか。今は天涯孤独な彼を支える人のつながりは心ある由木さんはじめ広島の人々だけである。
逆風の時代、小笠原さんの開いた地平は意味を深めている。決して風化し消え去るものではない。その意思を後に続くわたしたちが平和自治を具体化させることで生かしていくことである。その気持ちを込め、手を握りまたの再会を約してお別れした。
6.まとめにかえて
平和・人権の諸課題は憲法改定が政治日程に上り、有事法、「テロ」特措法、イラク特措法、自衛隊のイラク派兵へとつきすすむ小泉政権の暴走の時代にあって、風圧が強まっている。しかし、それゆえに生活に密着した地方自治の部隊で国から独立した施策として展開されることの意味もまた大きい。平和や人権は空気のようなもので当たり前に感じても脅かされていくことに感じにくいもの出もある。昨今の世論の既成事実追認の状況は如実である。
豊中市、広島市ともその施策には長い歴史と人々の意識化された支えがある。金沢市にすぐに同じものを構築できるとはいえない。そのイメージとそれに向けた人のつながり、行政とのつながりを作っていくことが大切である。
議員の自己責任として平和・人権行政視察を続けたい。
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