不戦の誓いと「不断の努力」

不戦の誓いと「不断の努力」

 深夜の雨音と河川情報に目を凝らしながら書きます。

 戦争の史実に学び、不戦の誓いを新たにするのが、日本の夏ですね。

 11日夕刻の憲法守る会定例街宣でも、そう語りかけました。

 起点を1931年9月として、その後10年はアジア、太平洋において軍事占領を拡大した日本は、敗戦に至る末期に本土の戦争被害を受けることになりました。主要都市の空襲、沖縄の地上戦、広島・長崎の被爆をもって破局を迎えました。

 アジア太平洋地域で2000万人を死に追いやり、日本国民310万人の命をも奪って廃墟を残したのです。「高度国防国家」日本の破局は、現代への警鐘です。

 広島原爆投下の翌日、愛知県豊川海軍工廠がB29の空襲を受けました。石川県内からも女子挺身隊として動員された500人のうち52人が亡くなりました。

 この豊川海軍工廠殉難乙女を悼む像が、金沢市卯辰山に建っています。この平和祈念像の保全・継承のため、遺族代表が金沢市に支援を求めています。

 12日は、文化財保存活用地域計画への登録、団体活動への助成に向けての現状と課題について、具体的な話し合いの場を設けました。文化財保護課、緑と花の課は、この殉難乙女の像の意義を再確認したと思います。

 今年もまもなく8月7日が巡ってきます。残りわずかとなった生存者のうち、90代半ばを過ぎた西村さんは、今年も山を登って非業の死を遂げた仲間たちに会い来られるでしょうか。

 不戦の誓いと平和への不断の努力。そのために、豊川海軍工廠殉難乙女の像をなんとかして後世に残したいと思うのです。