名取市の震災復興区画整理事業視察

名取市の震災復興区画整理事業視察

12278753_567485670070135_4060186297720602790_n[1] 全国市議会議長会研究フォーラムを終えて、昨日のうちに宮城県に足を伸ばした。
 三日目の今日は、名取市を訪問し、震災復興事業を視察した。名取市には、金沢から述べ12人目となる市職員が今も二人派遣され、下水道整備と都市計画事業に携わっている。彼らの激励も目的のひとつだった。
12241504_567484946736874_5116199575539503097_n[1] 私が名取市を初めて視察したのは、2011年の夏、市民福祉常任委員会視察だった。震災から5ヶ月という時期だったので、大津波被害のすさまじい状況を目の当たりにしていた。あれから4年、閖上地区に近づくと、さすがに、新しい建物が遠望でき復興の槌音が聞こえるようだった。閖上地区に入ると、ひっきりなしに土砂を運び込むダンプが行列をつくって行き来している。これが、名取市の復興事業区画整理造成事業だった。

12219504_567490730069629_6902541848554199944_n[1] 名取市役所では、建設部岩間下水道課長、森都市計画課長、菊池復興区画整理課復興推進監から設営を受けた。また、金沢市派遣職員の秋本さん、中村さんからも手がける事業の進捗について言及された。
12227651_567489780069724_6751791091014125222_n[1] 11218813_567489816736387_4506731132474982706_n[2] 
   
 名取市の復興事業の特色は、国の事業である海面から7メートルの防潮堤を第1次防御選、県道南北線を第2防御線とし、その間にある地区を居住危険地区と設定して住宅ではなく、産業立地地区とする。例えば水産加工産業の立地、遊離を図っていく。朝市も始まっている。
CUPMWR_UEAASP9z[1] これに対し、第2防御線より西側を居住地区として2メートルほどの盛土を施し住宅地を造成する。いわゆる集団移転地区だ。これに併せ下水道の整備も進めていく。
 復興推進監が、宮城県内の他町に比べ、名取市の復興は遅れていると述べたことに対し、私は、フォーラムでの議論を引いて、地域事情があるのではないかと訪ねた。閖上地区の集団移転対象は500戸を越えるが、住民の思いは様々だ。特に、津波を経験し、津波を実際に見た住民と、避難により津波を直接見ることもなかった住民とでは、感応が大きく隔たっている。仮設住宅での避難生活が長引くほど、閖上に戻って暮らすのを恐れる住民が増加したという。国の設定した復興メニューは、その通りでは住民には受け入れられず、計画選択の見直し、計画の修正を繰り返し、住民説明を繰り返してきた。国との協議調整にも時間が取られた。当然のことだろう。あのすさまじい津波で肉親や友人を奪われた心の傷は簡単には癒えるはずもない。

12239626_567490753402960_2045650746629167877_n[1] フォーラムでも、国にひも付き復興競争を強いられる状況では、行政は、住民、地域ではなく、国の方を見るようになる。そうではなく、国には、地方自治体が住民に寄り添い、多様な民意をくみ取り、息の長い丁寧な復興事業を継続するのを支え続ける姿勢が求められると。時間をかけて、住民合意をつくりながら苦闘してきた名取市はまさにこれを実践しているのだ。私はその労をねぎらわずにはいられなかった。

 災害からの復興にあっては、そのために、「議会は住民の中に入り、現実的な問題、課題、争点を可視化するという重要な役割が期待される。」フォーラムでの花巻市コミュニティアドヴァイザー役重眞喜子氏の言葉だ。

 名取市の視察により、フォーラムでの議論の内実がよく理解でき、有意義な機会いなった。二人の若い派遣職員は、この体験を血肉にして、いずれ金沢市民に貢献する時が来るだろう。これからも復興事業に汗をかく二人にエールを送る。
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