報告 東北アジア平和連帯を歩む

1104 11月4日から8日まで、韓国禮山郡で6日開かれる東北アジア平和連帯国際シンポジウムに参加する為、月進会日本支部長朴賢澤さんと訪韓した。以下、その概要を報告する。

心は同じ

 4日は、ソウルで、独立運動家尹奉吉ソウル月進会元会長李柱應さんと旧交を温めた。金沢市議復帰を本当に我がことのように喜んで下さった。
 李柱應さんは、600年前の全州李氏を先祖に持つ人という。2003年初訪韓以来、親しく付き合う間柄だ。ユニチカの代理店として世界を股にかけて事業を推進している。
 その李さんは、先日の安倍・朴会談に触れた。何度も謝罪せよとは、よろしくない。済んだことだから。韓国がそれで不利益を受ける。こう言われた。
1104-2 だが、私は思う。それは足を踏まれた側がいうことで、足を踏んだ側が言うべきことではない。歴史を直視する勇気と継承する責任は私たちの世代にもある。何も誇りを失うことではない。ドイツのように身を切る努力をしてきたならば、今のような不幸な関係はもたらされなかったと思う。
 そう、李さんも私も思いは同じだ。互いを尊重し、人間として尊敬し、共同の未来を開きたいのだ。
一年半ぶりの再会で、絆はさらに深まった。

(夜のソウル市庁舎) 
 朴元淳ソウル市長への表敬は、市長の訪中スケジュールの関係で叶わなかったが、翌5日は尹奉吉墓所を参拝し、午後には禮山に向かう。

5日早朝 尹奉吉墓所を参拝

1105-4   

1105-2 秋の空はソウルでも高く澄んでいる。紅葉に包まれ静かなソウル孝昌公園。この国立墓所に尹奉吉は眠る。命懸けの抵抗独立運動家が、時空を超えて、日本と韓国、金沢とソウル、禮山を結びつけている。現代は、不再支配と平和の連帯でありたい。この季節としては二度目の墓参ができた。

1105-3 ソウル市民10万人が出迎えたという遺体は、金沢三小牛山から送還された。仕事の都合をつけて駆けつけてくれた李柱應さんと三人、静かに黙祷した。金沢でも、「お別れの言葉」を託してきた津田外志子さんの葬儀が始まっているだろう。

 

禮山郡入り 共同し 平和のための運動を

1105-6 ソウルから忠清南道禮山郡までタクシー2時間。80000ウォン!二人で4000円ずつは安い。一年半ぶりに尹奉吉のふるさとにやって来た。りんごの産地禮山は、百済文化の中心。山々は五色に染まっている。懐かしい人々が待っていた。満面の笑みで迎えてくれた李祐宰韓国月進会長、通訳の小川晢代理事と、まずはワタリガニずくしの昼食。

1105-7 禮山出身、元ソウル選出国会議員で80歳になる李会長は、衰え知らず。農業用というランドクルーザーを飛ばし、アジア平和共同体への運動構想はとどまるところを知らない。アメリカ帝国主義の側にではなく、アジアの団結をと気炎を上げた。
1105-8

 尹奉吉ロードを飛ばして、徳山温泉観光ホテルに戻ってきた。夜は、月進会主催の晩餐だ。月進会は、日本植民地下に尹奉吉青年が農業振興と独立の基礎づくりのため開いた夜学が前身だ。1105-5

 国は違っても皆温かい

1105-9 晩餐は、何時ものように感動した。イデオロギー、国の体制、文化、歴史が違っても東北アジアの平和を願う心は共通している。世界には、志高く、人知れず精魂傾けている大先達がいるんだ。そして、こんな私にも大きな期待をかけてくれる。

1105-10 中国の各歴史研究者、モンゴルツェツェルレク市ナムジルドルジ元市長、融和へと活動する韓国NGO活動家、愛媛大平和学の和田教授と愛媛、松山大学の学生たち、更には民族音楽院サムルノリ李光壽夫妻とも旧交を温めた。

 


6日 戦争を防ぐ市民間交流・自治体連携

1106-1 禮山郡スパ・キャッスルリソムホテルで、第5回東北アジア平和連帯国際シンポジウムが開かれた。禮山郡守、忠清南道当局、議会挨拶などの後、李祐宰会長が地域間連帯から平和運動を実践しようと訴えた。韓国独立紀念館の責任研究員が植民地化と独立運動を学術報告した。

 この中で、李祐宰韓国月進会会長は、初めて日本が戦争体制に入ったとの認識を示した。他の東北アジア諸国も力による対決の体制にあり、武力衝突の危機があるとも指摘した。
 アジア発の第三次世界大戦を防ぐには、市民間交流と自治体連携が必要だ。平和運動の共同実践を進めよう。こう呼びかけられた。
 私の報告含め、シンポジウム提起内容は、別にホームページに掲載したい。

尹圭相月進会名誉会長墓参 住民の人情にも触れて

1106-2 1107-1午後、待望の尹圭相月進会名誉会長の墓参りができた。3月に92歳で亡くなった尹圭相さんは、朝鮮戦争後、月進会再興に携わり、チェヒャン、郡をあげた文化祭典を発展させた禮山のカリスマだった。その人徳に私も13年間感銘を受けてきた。尹圭相さんはまた、誰よりも私を理解し、海の向こうから示唆と激励を寄せ続けてくれた。民主主義から社民主義まで射程に入れ、世界を見通していた。

 1106-3 墓参は、息子の尹晢鉉さんに案内して頂き、急な山腹に眠る土饅頭に手を合わせた。
 葬儀は伝統の楽舞が李光壽民族音楽院に奏演され、厳かに執り行われたと聞く。その模様は、李光壽民族音楽院長夫人銀淑さんから動画を視せて頂いた。そのときは、私の弔辞を朴日本支部長に献じて頂いた。
1106-4

 尹晢鉉さんは私と同い年。新しい世代の連帯が始まったのだ。
1106-5 ところで、山道の入口にある家の庭に車を停めさせてもらったら、帰り寄って行けと家の中に招かれた。家人の女性(同姓の尹さん)が日本からよく来たと、初対面なのに、コーヒー、焼き芋を振舞ってくれ、おしゃべりに花が咲いた。自作のきゅうす湯呑みセットまで頂戴した。韓国人の人情にも触れて、思わぬ幸福に出会えた。

最後の晩餐を終えて、帰り支度

 今回の訪韓も、心が震える瞬間が連続した。7日は、午前中、世界二位のシェアを誇るオカリナNobie工房を学生たちと視察し、休日返上の社長からで丁寧な説明を受けた。
 その足で、日本植民地化支配の禮山での拠点サッキョウの街で、名産のホルモンを食した。
1107-2 それから、李光壽民族音楽院が主催する全国小中高生サムルノリ大会を見学した。李光壽院長の長年の努力が見事な花を咲かせていた。夕方は、尹圭相さんの家を訪問し、遺影に参拝することもできた。息子夫妻とも絆ができた。

 夜の最後の晩餐。月進会を支える若い世代との交歓も素晴らしかった。また韓国の女性歴史研究者とも出会うことができた。
 
  東北アジアの平和連帯を心から願う韓国市民とこんなにも出会え、勇気を頂いた。深く感謝。カムサンミダ!🙇🙇🙇

1107-3 1107-4 1107-5