2017年韓国禮山郡平和友好訪問の報告

1尹奉吉義挙85周年に当たり、今年も韓国に平和友好交流に訪れた。緊張高まる朝鮮半島の情勢を懸念し、大丈夫かと心配してくれる声を背に16人が海を渡った。だが、ソウル繁華街市明洞は、いつもの日常の顔であった。

我々は平和の力を確信する

4月26日 月進会李佑宰会長を囲む夕食会。「戦争はいつ起こるかは判らない2が、それは破滅を意味する。だが、我々は平和の力を確信して日々を生きる。」と会長は、感慨を込めて言葉を選んだ。
 私は、「私たちは、戦争を止めるために今年も韓国へ来ました。」と応じた。大袈裟と思われるだろうが。
 朝鮮半島の南北分断は、日本の植民地支配に起因することを忘れないでおこう。3

 

27日 私たちは今年も早朝、孝昌公園の国立墓所を訪ねた。金沢での殉国から85周年の尹8奉吉義士の墓前で、平和のための共同努力を誓った。右側は大統領選候補李ジェウ氏の献花。5

 

歴史は今に、そして未来に繋がる

 墓参の後の行程は、歴史を今に繋ぐ出会いを求めた。尹奉吉義士の遺骨を野田山で発掘した時、骨を拭いて確認した医学生朱鼎均さんの子どもがソウルの著名な女医さんだとの情報を得ていた。その方に、当時の写真や映像DVDを手渡したいと、面談が叶った。
 4ところが、人違いだったようだ。写真も名前も父とは違うと。それでも、知っているかもしれないと、その女医さんの18懇意なご老人(90歳を超えている)もやって来て、話を交わした。「四高に進学したかったが、抗日スパイ容疑で3年間収監されて夢を断念した。生きているうちに金沢に行きたい。」我々は、金沢での再会を約してソウルを後にした。何事もゼロということはない。

13 11禮山郡へ向かう道すがら、亡き尹圭相名誉会長が卒業した当時の善隣商高、現善隣インターネット高校を訪れ、作曲家古賀政男などの卒業生名簿を探索した。古賀政男が寄付した時計台前では、古賀メロディーを皆で合唱した。

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    21続いて天安市にある独立紀念館訪問。「韓国の独立運動を助けた日本人」企画について、金沢での開催の可能性について研究員と協議した。前向きに準備していく事で一致した。 

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 18時過ぎ、尹奉吉義士義挙85周年祝祭の準備で忙しい月進会から、熱烈歓迎を受けた。感謝只感謝。27

これからの21世紀はアジアが基軸

28日 禮山郡でのスケジュールの第一は、禮山郡黄善奉郡守への表敬訪問。続いて禮山郡議会に表敬訪問。黄郡守33は、月進会日本支部と尹奉吉義士共の会が積み上げてきた活動に深い敬意を表され、郡としても出来る限りの支援をしたいと表明された。状況34は易しくはないが、私たちも最善を尽くしたたい。
 
 郡議会では、姜副議長と複数の議員が迎えてくれDSCN37751た。6月の百万石まつりに三人の議員含め、30人以上が訪れると聞いた。誠意を尽くして迎えたい。
 

 午後は、観光地化を進める禮山郡の貯水池を視察。風光明媚な地に爽やかな風が吹き渡った。近くには、彫刻公園36があり、美しいツツジの園に、禮山出身朝鮮(韓国)戦争従軍者の名前が37刻まれていた。戦争により受けた悲しみは、我々より数倍深い。
 李佑宰月進会会長の盟友35朴独裁政権下に政治犯として五年収監されていた李候補のポスター9番が、掲示されていた。韓国は、大統領選に最も関心が集まっている。

 午後は、初めて忠清南道議会議長を公式に表敬訪問した。昨秋私と朴39賢澤支部長が突然訪問したにも拘らず、尹議長は快く迎えて下さり、平和のための協力を約束40された。それが、平和貢献の表彰だったようだ。もとより、平和連帯の事業は、私たち皆の志であり、生き様に他ならない。今回は私が代表したまでだ。

 夜の郡議会主催の晩餐には、モンゴルのナムジルドルジ元市長はじめ42友人たちが今年も顔を揃えた。東北アジアの平和のための人々の信頼関係は揺るぎない。

今日も1日友の趙31起徳さんのサポートを受けた。感謝。

 

民族を超えた人間の解放こそ

4月29日 1932年上海爆弾事件から85年。尹奉吉義士は、小さな水筒爆44弾を選び、戦勝祝賀会の壇上に投げた。我々日本人が想像できないアジアの快挙と認められている。足を踏んだ者は、踏まれた側の痛みには鈍感だ。その鈍感さは、近年傲慢な開き直りに転化している。45

 それでも、次代のリーダーと目される忠清南道知事を囲む祭享後の皆の笑顔笑顔笑顔。
 すべてを物語っているではないか。DSCN37821 

 

 

 85周年の祝賀式典では、李佑宰月進会会長が声を詰まらせた。初めて見る光景だった。尹義士の平和思想がありながら、韓半島は未だに大国50の狭間で戦争の危機に直面させられている。だが、それでも、戦争の危機は、尹義士の平和思想以外に解決できない。その確認に声を振り絞った。近くで何年も揺るぎない意志を垣間見てきたが故に私も胸が熱くなった。
 51我々訪問団を代表し、田村光彰団長は、トランプを支持し、ジプチに治外法権の基地を構え、安保法によって戦争する体制をつくってきた安倍政権を厳しく批判した。戦争の危機は、戦争に反対し、平和を求める市民の運動で乗り越えられる。そこに尹義士の精神からの学びがあると締めくくり大きな拍手を受けた。前列にいた二人の地元の高齢女性が頷いていた。
49 式典では、我々からは安川さん、張さん二人の功労受賞があった。
 
先立つ儀式では、義士の孫娘尹柱卿独立紀念館長、元禮山郡議員、大統領候補者に近づく忠清南道知事もシャッターに収まった。

 午後は、今年も徳山高校の生徒たちと中国、モンゴルからの訪問団と共に、平和について意見を交わした。男子生徒が、尹奉吉義士が日本人に爆弾を投げたことにどんな気持ちか?と質問した。私は答えた。他に日本の植民地支配と闘う方法はなかったと。子どもたちばかりではなく、韓国では、よく尋ねられる。私たちは、国家と平和の問題は、生身53の人間の命と生活、未来を奪うものと認識している。国家や民族の枠組みだけではなく。高校生たちは、屈託なく外の世界に興味津々の様子だった。5455

 

 

 

 

 

 60奇しくも、獄中19年、不屈の民主化闘士徐勝(ソ・スン)さんが月進会日本支部の繋がりで禮山郡にやってきた。伝説の人と、アジア、世界の情勢について意見を交わせた。
 世界の保守化の中で、ひとり韓国だけが市民パワーが政治を動かしている。それは民主化運動の力かと尋ねると、そうだと答えが帰ってきた。ならば、日本の状況は、市民パワーの弱さだ。どう穴を開けていくか、気持ちを新たにした。会えて本当に良かった。

 祝祭も、フィナーレの平和音楽祭となり、盛本芳久さんが李光壽・民58族音楽院のコーディネートで尺八でコラボした。圧巻の民族音楽院サムルノリとモンゴル、中国の59民族芸能団が饗宴した。

 ホスピタリティ溢れる李光壽夫妻のもてなしカラオケから戻り、出発の3時まで眠らないよう一日のまとめを投稿している。

                      (4月30日現地記)