75周年 被爆・空襲の記憶を戦争阻止の力に

75周年 被爆・空襲の記憶を戦争阻止の力に
  広島被爆〜豊川殉難乙女の像 
 昨日8月6日は、広島被爆から75周年の平和記念日。例年なら、この一週間は広島か長崎を訪れ、原水禁世界大会に参加しているが、新型コロナ感染症対応で縮少され、金沢に留まっている。
 そこで、正午に金沢駅前に立ち、猛暑日の刺すような日差しの中、社民党議員団として核廃絶を訴えた。14万人が焼かれた広島の熱さはこんなものではなかったと、被爆者の証言で何度も教えられた。
 かつての5分の1になった世界の核弾頭は1万3400発。これでも地球消滅の脅威だ。だが、トランプ大統領の出現で、世界は再び核軍拡の局面に入ったと言われている。アメリカは小型核の実戦配備を強行している。中露は反発して核不拡散や核軍縮諸条約の更新が危ぶまれている。
 最初の戦争被爆国日本は、対米核依存から、国連が122カ国の賛成で採択した核兵器禁止条約に背を向け続けている。批准書を寄託した国は43。あと7カ国で条約は発効するところまできた。日本政府は何をしているのか⁈ 存命する被爆者や家族、関係者の怒りは、安倍首相の面前で平和宣言する松井広島市長の言葉に込められた。
 金沢も加盟する平和首長会議などは、自治体主導の核廃絶ロードマップを提唱して、核保有国に核軍縮を迫っている。1985年に平和都市宣言を上げている金沢市も積極的に自治体非核平和施策を展開すべきだ。
豊川海軍工廠 殉難おとめの像
 昨年ご縁のある方から呼びかけられ、金沢の卯辰山相撲場の上手にある殉難おとめの像前での慰霊の集いに参列した。はや、一年が過ぎた。今日7日午前、激しい雨の中、再び参列した。
 敗戦間近の1945年8月7日10時30分、愛知県豊川海軍工廠の女子挺身隊寮を米軍B29が空襲した。石川県からも派遣されていた乙女たち52人が命を奪われた。
 もう最後と昨年言われた生存者西村八重子さんが、95歳のかくしゃくたる足取りで、山を上がってこられた。
「ああ豊川女子挺身隊」を感慨深げに口ずさんだ西村さんは、昨年より多く見えたマスコミに囲まれて、こんな老婆になったわと御魂に語りかけたと話した。戦争体験を直に継承できる時間はもうわずかしか残されていない。新たな体験者は出してはならない。乙女の像は再来年建立から50年を迎える。遺族は、来年を節目の慰霊行事の夏にと考えている。
 この平和のためのジレンマを解決する若者の平和活動がヒロシマ・ナガサキを中心に全国に広がっている。高校生平和大使だ。彼らを真っ直ぐに育んできた平和教育の役割はますます高まっていく。
 世界では市民権を得る平和教育が、日本では政治から疎まれたきたが、それを突き破る気概を持って、子どもたちの学びの権利に応えよう。