1月2日、私がこの世に生を受けた日です。四回目の年男になりました。亥年と言うと、よく笑われます。その通りだと。まっすぐ行くのが取り柄のようですから、猪突猛進で行くしかありません。ところでこの猪、自分のテリトリには、躯をこすりつけて強烈なニオイを刻印する害獣なのだそうです。猪突猛進で目標物には強烈な臭いを擦り込んでいく、ある意味で癖のある強烈な個性を発散する猪とは、私ちょっと違うと思うのですが・・。
さて、この四回目の年男は、4月の統一自治体選挙で、金沢市議会議員として初めての審判を仰ぐことになります。今日も正月の祝いのご家庭を訪ね、ご挨拶の行脚でありました。そこで受ける丁重なねぎらいに、真摯、誠意という言葉が浮かんできます。私は、心のキャッチボールをしながら、交わすべき契約の中身について、思いめぐらせるのです。
報道で様々な指標が報じられていることはもうご存じの通りでしょう。一言で、「働けど働けど我が暮らし楽にならざる。」「働こうにも働くことすら許さない社会」「命の軽重が極端に開いてしまった不平等社会」「いざなぎ景気」をいつ越えたか、そもそもいざなぎなる景気が庶民にあったのか、そういう実感のごく普通の市民に今年は、一層の増税と社会保障負担が上乗せされることになっています。消費税増税の前にすべきことがあります。空前の収益を得ている独占的大企業とその経営陣、機関投資家たちに、累進性にもとづく所得再配分を求めましょう。ついでに、適正な社会保護装置としての規制を復元し、アメリカ系多国籍資本から、吸収された冨の還元を求めましょう。米ドル、米国債売却の自由を求めましょう。足元では、国の地方財政計画が圧縮されたことを機に、投資中心の市政から、社会保障と民生中心の市政に金沢市政を転換させましょう。
安倍晋三なる若き宰相は、人々の困窮をよそに、相次ぐ内閣の不祥事を塗り込もうとするかのように、「国の基本の憲法が施行60年で古くなった、戦後の枠組みから脱することが未来の展望を拓く」と、任期中の憲法改定を年頭の所感で強調しました。自分のおじいさんの時代(岸信介 戦中の閣僚で、A級戦争犯罪人として訴追)は間違いではなかった。競争こそが、活力を生み出す。国際競争に打ち勝つには、無条件に国に帰依する国民が必要だ。国家権力という唯我独尊の信仰が、人々に君臨することを法的に認めるという憲法とは言えない、権力による「法縛」(権力が民を法で縛る逆転)を準備すると言っているのです。これを国民の幸せと喝采することの何という倒錯!権力に忠誠を誓い、利潤に貢献できる者のみが生存を許され、不採算な人間は淘汰される社会、国境を越えた市場闘争は、経済、政治、軍事あらゆる面に戦士の供給を要求し、献身を競い合う民たることを強要するに違いありません。権力にある人々が悲願としてきた教育基本法改定が強行されました。憲法規範との矛盾、今後行ってくるであろう300とも言われる関連諸法令「改正」一つ一つについて、言うべきことを言い、だめなものはだめと教育に関わるすべての第一線の人々と、体を張ったたたかいを続けます。金沢の教育を人間教育本来のあり方に立ち返らせるための再改革に汗をかきます。
「自治体間競争」の言葉は、ここ金沢市で最も飛び交う言葉でもあります。否、自治体共存の地方自治の精神に立つべきだと私は思います。地方六団体が求めるように、地方交付税制度を地方共有税制度に転換し、日本のすべての地域で最低限の市民生活が営まれるよう、自治体間の富の偏在を正し、助け合いの自治を目指すのです。市長には、引き続きこのことへのリーダーシップを発揮して頂きたい。
「国民保護」など有事対処には、自治体間連帯によって市民の平和的生存権の保障を対置し、国の暴走を監視する自治体自決権を主張すべきです。その具現として、私は、かねてから主張してきた無防備地域宣言を担保した「非戦平和条例」の制定を政策目標として掲げます。その際、国際人道法の軍民分離原則の適用について、市民的議論を深めます。本来、力は住民にある。「百万石」の処世術としての「長いものに巻かれて生きる」では、住民の時代を切り拓くことはできません。住民の市民的力量をいかにして高め合っていくのか、ここにしつこく拘って、真に近代が拓いた法の世界を金沢に打ち立てるための政治活動を市民協働で進めます。そのために、4月22日まで、猪突猛進でたたかう覚悟を表明します。応援よろしくお願い致します。 |