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我が師 有側 末広先生 ありがとうございました
森 かずとし
 私の中学3年生時代の恩師であり、後援会長でもあった有側末広先生が11月19日にお亡くなりになりました。全く突然の訃報でありました。学校生活を共にしたのは1年間だけでしたが、教師として生きようと決意した頃から、先生はずっと私の行く先を照らす規範であり続ける存在でした。
 中学生の頃の私と言えば、まじにプロ野球選手にあこがれ、グラウンドを転がるだけの毎日を送っていました。そんな私に、問題意識を持って生きること、仲間を信じてつながることを学ばせてくれたのが先生でした。
 忘れもしないシーン「無制限学活」。多感な思春期に学校生活をはみだしたクラスメイトの問題を級友みんなの問題だと、全員の居残り学級会議を命じられたことがありました。「君たちだけでとことん話し合い、どう考えるか、どう対処するのか、結論を出しなさい。結論が出たら呼びに来なさい。」そう言い残して先生は職員室に去って行きました。残された私たちは事件当事者の級友と疑問や意見をぶつけ合い、互いの気持ちを確かめ合う話し合いを延々と続けました。終いには発言が皆涙声になっていました。
 個性的なメンバーのクラスの絆が強まったもう一つのシーンは、学年別文化祭の出し物「黒人ジョーは行った」の上演です。国語教師だった先生は当時から現役の役者でもありました。その先生が書き下ろした脚本が、アメリカの奴隷制、人種差別を考えさせる内容でした。日焼けしている私にジョーの役が当たりました。受験を控えた秋、そんなことはお構いなく、徹底的に練習に明け暮れました。配役だけではなく、舞台裏の係たちも懸命でした。演劇のプロである先生は、でも決して表立って指導するようなことはなく、あくまで生徒が自分たちで自分たちの舞台を作り上げることを見守るのでした。幕が下りた舞台裏で皆肩を抱き合って喜び合いました。二度目の涙を流した瞬間でした。
 いろいろなお立場にありながら、後援会長を一つ返事で引き受けて下さった先生はもういません。先生が生きて示した教育のあり方は、今日の教育、いや社会全体が失ってしまった大切なものを指し示しているように思うのです。いつまでも私の心に生き続ける先生と共に、私は恥じない議員たろうと歩みます。有側末広先生、ありがとうございました。



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