母が居ない大晦日に
実家の猫額ほどの花壇に、薔薇の花とスイセンが咲いている。この時期に普通なのか私にはよく分からないが、亡き母が愛でたピンク色の薔薇に、母の心が宿っているように感じられてワンショット。思えば、私生活では、失うことの意味を実感する年だった。
ところで、2016年も、熊本地震に始まり糸魚川市の大火へと大災害が続いた。被害に遭われた方々の辛苦は察して余りある。こうした人を不幸に陥れる大災害をも、政治は権力強化の自己目的に利用する。即ち、緊急事態条項への執念だ。最近、南スーダンへの武器禁輸の国連制裁に棄権した日本政府は、安倍政権で急速に進むイスラエル経由の武器輸出に配慮したと深読みされている。こうした論点は大マスコミに排除されている。
沖縄の闘いが孤軍奮闘であることに絡めて、高橋哲哉東大教授は、日本に抵抗の文化が根付いていないと警鐘を鳴らしている。
私は、議員になった最初の冬に、反戦市民運動の全国会議に参加した。14年前に既に会議のテーマは、「戦時下の反戦運動をいかに闘うか」であった。そのリアリティをどうすれば、主権者市民に共有してもらえるのか…? この難題に具体的な答えを出し、結果を出さないといけない。その責任が切迫してきたように感じられてならない。この年の瀬は。
「努力は続けてきた。」しかし、それが言い訳では済まない時代がやってくる。街頭でも申し上げた。2017年が、基本的人権と平和的生存権を奪う明文改憲の分水嶺になってはならない。肝に銘じて新たな年明けに臨む。
この一年、拙い堅い投稿をお読みくださり、励ましてくださった皆様に深甚から感謝を申し上げます。ありがとうございました。来年への希望を置き忘れず、互いに佳き年を迎えましょう。