新広場訴訟 「怒り心頭から怒髪天を突く」超不当・反動判決

「怒り心頭から怒髪天を突く」超不当・反動判決
   9月18日、全国の憲法学者、憲法擁護の活動に携わる市民、労働者が注目する中、金沢市庁舎前広場使用不許可違憲訴訟で超不当・反動的な判決が言い渡された。
  
報道各社の記者から事前の問い合わせをいくつも受け、勝訴判決の全国放送を準備していたメディアもあったと聞く。骨子を画像で掲載するが、3年間にわたり、精緻に積み上げられた主張、裏付ける事実・書証、そして採用された証人尋問などが省みられたなら、どうしてこのような判決になるのか? 
 こちらの主張に対する反証となる論理、その根拠となる事実の整合性などが、全く見えてこないのだ。

 判決評価に立った弁護団事務局長の北尾美帆弁護士は、憤りを通り越して唖然とする判決と評した。選挙結果がすべて。その結果に従うものしか許さない。これは民主的原理の根本を覆すもの。判断には、健全な論理性が欠如している。代理人弁護士から次々と厳しい批判が続いた。

 私たちは以下を主な論点として主張してきた。

1.市庁舎前広場は、公用財産であっても市民の表現の自由が保障されるべき空間である。きわめて明白な具体的支障がなければ不許可にできない。(呉事件の最高裁判決)

2.管理規則の禁止行為中示威行為の規定「特定の政策・主義又は意見に賛成し、又は反対する目的で個人又は団体で威力又は気勢を他に示す等の」は表現行為の内容に立ち入るもので違憲である。事前のヒアリングは憲法が禁じる事前検閲に当たる。

3.護憲集会は、憲法に基づく市の事務事業に準じるものとして2017年以前は許可されてきた。同様の護憲集会を不許可にすることは「禁反言」(理屈の覆し)で許されない。

4.軍事パレード反対集会不許可以降の護憲集会不許可は主催団体を狙い撃ちにしたもので動機に違法性がある。

5.他の類似集会を許可していることから、「平等原則」に反する。

 庁舎前広場は、市庁舎の一部である公用財産。といっても、その使用を制約するに足る具体的な支障は発生していないことは市も認めるところだ。集会が開催されていることにより、金沢市が主催団体であるかのように受け取られる?(中立性への疑念)主催団体が明示されている集会にである。市民の判断力を見下している。市民の表現の自由の価値を否定する反動性が極まっている。 

 少し踏み込んでみると、内容のない判決である。市民の共有財産である公用物の管理裁量を市長に狭小に帰属させ、政治性のないものは市の中立性を疑わせないから許可している。すべてを否定しているのではないと表現の自由非侵害を忖度しているのだ。
 そもそも市民の意見は多様であって、その表現の自由は、公用物であろうと公共物であろうと最大限尊重しなければならない。(とりわけ、広場は庁舎の一部と言っても、集会を想定した改修を施した場所。これにも目をつむっている)そうしないと表現の自由は維持できない。それによって地方自治体の中立性が担保される。つまりは、公権力の物差しによって、制限を正当化しただけの判決である。
 極め付きは、
中立性を疑われる「おそれ」、この抽象性を判断基準にしてしまえば、実態とは無関係に規制が正当となる。公権力と表現自由との関係という根本命題から逃げた判決であり、徹頭徹尾権力サイドの判決である。

 管理者である市の管理裁量権と憲法の表現・集会の自由との比較考証すら、憲法の番人たる裁判官が悩みながら行った形跡が微塵も感じられない。市を負かすわけにはいかないとの予定判決にしか見えない「追い詰められ判決」との弁護団評も聞こえてきた。

 岩淵弁護団長は総括して述べた。「訴訟自体は多彩な論点を提示し、裏付ける根拠も提示し得てきた。しかし、これに応えず、市の都合だけを秤にかけて、憲法第21条を秤から外した。反論は空理空想でしかなかった。ある意味、そうするしかなかったのだろう。その意味では、肉薄した闘いであったのかもしれない。」と。  
 判決では徹頭徹尾金沢市行政当局の側に立ち、憲法の表現の自由を論じることなく、逸脱した裁量権の行使を根拠なく容認して恥じない。民主国家における司法、裁判所の審理とはこのようなものか?暗澹たる思いだ。しかし、憲法を論じない司法!黙って受け入れるわけにはいかない。

 私が起案した勝利判決を勝ち取る集会(2020.9.13)のアピールを再度引用したい。

 「憲法第21条の表現・集会の自由は、基本的人権の根幹です。人々が集会を通じて意思を表明することは、民主的な自治を成り立たせる上で極めて重要な権利であり、最大限尊重されなければなりません。権力者の圧政に抗議し、個人の尊厳と自由を求めて止むに止まれぬ声を上げ、身の危険を顧みず闘った幾多の人々の結集の舞台は広場でした。広場はあくまでも市民のものです。こうした広場の歴史を現代に継承する最も大きな責務を負っているのは、市庁舎前広場を管理する金沢市当局に他なりません。」 
 私たちが市庁舎前広場での護憲集会にこだわるのは、民主的自治の歴史への責任からなのである。私たちは法定の内外で闘い、こう学んできた。 

「政治や社会の情勢に鑑みて、今ほど公権力の側にある者の憲法遵守義務の履行が問われる時はありません。金沢市は、世界の恒久平和への貢献を高らかに謳う平和都市宣言の自治体です。その根底には平和憲法があり、憲法理念に基づく自治体運営に謙虚に立ち返らねばなりません。」市に求めるのは、このまっとうな姿勢である。

 締めくくりの声明で宣言した。「私たちは、公権力に対して、表現の自由の重要性を訴える決意をさらに強くし、今後も闘い続けます。」 
 そのための控訴を協議する常任委員会を23日に開催し、反撃ののろしを上げる。