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森一敏
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 アレン・ネルソンさん講演に触れて

 2005年噂のベトナム戦争帰還兵アレン・ネルソンさんが金沢に招かれました。学生や若い活動家たちを中心にこの平和を考える集会は準備されました。一聴衆として私もそこに参加しました。ネルソンさんのことは、加賀市の教職員が地域の平和運動と結んだ平和教育実践の報告でもその存在が語られていました。実際に聞く彼の体験談はリアルで、戦争の醜悪な本質を鋭く突きつけるものでした。また、彼自身が悩まされ続けてきた外傷性心的ストレス症候群とのたたかいが戦争の非人間性を伝えて余りありました。彼の言葉は的確で、そして命への慈愛に満ちたものでもありました。彼の口から世界のともしび憲法第9条を守ってほしいと呼びかけられました。このメッセージをたくさんの日本の市民に伝えたく思います。以下要約して彼のお話を紹介します。

ギター弾き語りで「アメイジング・グレイス」を歌唱

【アメリカという国そして日本という国】
 数年前、広島の原爆資料館を訪れた。アメリカ人として、人間としていたたまれない気持ちになった。アメリカの小中学校の教科書は全くのうそっぱちだったと分かった。祖国アメリカは、子ども、老人、民家の上に核爆弾を投げつけた。アメリカこそ、テロのキング、模範を示してきたのだ。ヒロシマ・ナガサキ以前には、そのような大量破壊兵器は存在しなかった。
 アメリカの建国そのものがテロの上に成り立っていた。一握りのヨーロッパ白人がアメリカ大陸に入って、先住民を殺戮し、土地を奪った。アフリカ大陸から私の先祖である原住民黒人を連れてきて奴隷にした。アメリカには他国を指して「テロ国家」と呼ぶ資格などない。
 私は、米軍基地がこんなに日本にあるのがいぶかしく思う。米軍が日本を守ると思われているようだが、研究の結果、日本はイラクと同じ被占領国であるということが分かった。イラクは占領に抵抗しているが、皆さんは税金で米軍を養っている。米軍は政府をコントロールするためにいるのだ。日本は真の民主国家とは言えない。アメリカの一州に過ぎない。皆さんの上にジョージ・ブッシュが君臨している。陳情にはワシントンに直接出掛けなければならない!
 私は「9.11」の惨事を目の当たりにした。逃げまどう人々の顔は、私たちが攻めたベトナムの人々の顔と同じだった。ベトナムでしてきたことの報いがこのような形に及んだと思った。フセインは大量破壊兵器をもっているとされたが実際には存在しなかった。核はないと言うが、どこにあるのか、本土や沖縄の基地に貯蔵されている。このように政府は嘘つきだ。国連の査察団を呼ぶべきだ。
【PTSDの苦しみ 私の場合】
 ベトナムに戦場でたたかった私には、戦場とはテロそのものである。私たちは自由の戦士として派遣されたが、真っ赤な嘘だった。テロそのものだった。私が除隊して家に戻ったとき家族は喜んでくれたが、母は「お前は私の息子ではない。」と言った。母の目は確かだった。18歳の私は、殺人、テロで変わってしまっていたのだ。以前の私は陽気で人付き合いが良かった。ところが、帰った私は人を避け、悲しげだった。いっそのことジャングルで死んだ方がましだと思った。自殺も試みた。PTSDにかかってしまったのだ。ベトナムの戦場の光景が忘れられない、悪夢で眠れない、死体、子どもたちの泣き声・・・こうした私の姿を家族は理解できなかった。母は出て行ってと言った。私は、ホームレスになって空きビルの一室で暮らし始めた。
【子どもたちとの出会いから】
 ある日、路上で若い女性と出会った。彼女は私とは幼なじみで、小学校の教師をしていた。彼女は私に戦争体験を子どもたちに語ってやってほしいと頼んだ。とんでもない。ひたすら忘れたいことなのに。断り続けたが、子どもたちからお願いの手紙がたくさん届けられ、心を動かされた。しかし、いざ教室で子どもたちの前に立つと、戦争一般の恐ろしさをぼかして語ることしかできなかった。でも子どもたちは許してはくれなかった。「ネルソンサンは人殺しをしたの!」と女の子が尋ねてきた。私はすぐには答えられなかった。人を殺したと言えば、「大悪人!モンスター!!」と思われる。でも、嘘はつけなかった。私は目をつむってやっと「イエス」と答えると、子どもたちは皆立ち上がって私の元に駆け寄り、私を抱きしめてくれたのだ。私は子どもたちと泣いた。このときの感動が私に決心させた。PTSDとたたかおう、若い人たちに戦争の真実を話そうと。
 私はニール・ダニエル医師と共にPTSDと18年間たたかった。苦しいとりくみだったが、40歳になってようやく戦争体験を語れるようになった。小学生の4、5、6年生には語りがいがある。なぜなら、大人にはない真実に迫る躊躇しない質問をしてくるからだ。 日本では、湯布院小学校で話したとき、「ジャングルでママに会いたいとは思いませんでしたか。」と聞かれた。誰よりも会いたく恋しいのは自分の母だったのだ。戦友が息を引き取るとき「ママ・・」だった。妻があってもそうだった。
 またある時は、「人を殺すときどんな気持ちだった?」たまらない思いだ。本当の戦争では、死体に寄り、ポケットをまさぐり、地図などないか調べるのだ。思わず吐いてしまう。泣きわめいてしまう。そんな光景を何度も見てきた。上官は「初めはそうだ。じきに慣れてくる。」と言うがそうではない。殺すたびに自分の中で何かがなくなっていく。
 沖縄の小学生は、「ジャングルでトイレに行くとき怖くなかったか。」と尋ねた。仲間と別れてジャングルの奥に入り、ライフルを置き、ズボンを降ろす、その怖さ!
子どもたちは全身で真実に迫ろうとする。大人達は頭で分かろうとするが。
【アメリカ もう一つの顔】
 人々は世界最強国はアメリカだと思っているだろう。私はもう一つの国貧困のアメリカを紹介しよう。アメリカでは女性も子どもたちも公園やシェルターで寝起きしている。家族で、子連れのホームレスだ。アメリカ男性ホームレスは、8割が元兵士であると言われている。私の母はシングルマザーで4人の子を育てなければならなかった。日本にも貧しいところがあることは知っているが、アメリカのスラムの凄まじさには及ばない。ニューヨークのブルックリン。失業者、アル中、麻薬患者があふれ、暴力の巣だ。10代の女の子が妊娠し、複数の子どもを抱えて苦しんでいる。
 ブッシュはイラクに民主主義をと言うが、足元のアメリカでは公教育は崩壊している。マンハッタンで語ったとき、学校予算が削られているためチョークがなかった。教師がポケットマネーでチョークを用意していた。別の高校では、教科書がなかった。アメリカは、戦争・暴力のため、大量破壊兵器にかける金はあっても、教育やホームレスのための金はないのだ。
 私は海兵隊に入隊し、鼻高々だった。選ばれた者のみが入れると。母は喜んでくれると思った。しかし、母は怒りだし、泣き崩れた。母を助けられる、貧しさを抜け出す突破口だということを母は分かってくれなかった。アメリカの若い兵士たちは、恵まれた家庭の青年たちではない。大都会のスラム、片田舎の貧しい家庭から他に職を選べなくて選んだに過ぎない。日本の自衛隊も同じではないか。 有力者や金持ちの家の若者は海外留学している。小泉首相は、いち早く支援したが、自分の息子を行かせたのではない。
【海兵隊入隊】
 海兵隊の訓練は過酷だ。まず、「だまれ!無駄口をたたくな!!」から始まった。頭を使うことはあり得ない。命令に従うだけだと言い渡される。日の出前に起き、スマイルのランニング、いかに兵器を扱うかの授業、肉弾戦、白兵戦、素手でどう相手を殺すかを学ぶ。政府は好んでピースキープと言うが、来る日も来る日も殺しの訓練だ。18歳から19歳の若者40人が、「何をしたいか!」と問われて「キル!」と答える。「声が小さい!」と怒鳴られ繰り返す。
【ベトナム戦争の真実】
 私にベトナム戦争参加の命令が下りた。うれしかった。途中沖縄に立ち寄った。キャンプハンセンで実戦訓練を受けた。アメリカ本土とは全く様相がちがっていた。実弾射撃、村落包囲作。射撃標的も違った。人間の人型だった。本当の戦争では打ち損じは許されない。頭をねらうと標的が小さく打ち損じるので、股間をねらえと教えられた。複数の弾が腹部に当たり、相手兵士は泣き叫びながら何時間もかけて死んでいくのだ。残酷だ。
 ベトナムへの出陣の夜、興奮して眠れなかった。戦争映画の主人公のようにかっこよく戦えると思って。私は13ヶ月ベトナムのジャングルでたたかった。多くの人を殺し、死んでいくのを見た。映画とは違う。正々堂々もない。女子どもを救うこともない。ルールはない。敵は見つけ次第殺す。
 戦場で一番苦しむのは女、子ども、老人だ。村中の子どもたちを集めジャングルに隠れている。抵抗する男たちを殺してからそれを探す。子どもたちはひもじさから泣く。老人たちは逃げ遅れてヘリの餌食になる。映画にも夕方のニュースにもこんな場面は出てこない。私の悪夢に出てくる光景だ。撃ち合いの後には後始末がある。死体を並べて数えるのだ。遺体のちぎれた部分も集めなければならない。死体と重傷者。ジャングルの中に隠れた死体は、ハエの羽音を聞き、鼻で臭いをかいで探す。強烈な臭いだ。胃の中のものがこみ上げてくる。いかなる名画も及ばない。そこには臭いが欠けている。死体の臭いが涙、鼻汁を出させる。そして弾薬、硝煙の臭いだ。幼い子どもたちは母の死体にとりすがって泣き叫ぶ。生き残った年寄りも泣き崩れるのだ。
【人間性回復のきっかけ】
 私の人間性が戻るきっかけ、出会いについて話そう。
 ある村で奇襲を受けた。ある民家の裏手の防空壕に逃げ込んだ。そこに15、6歳の若い女性がいた。恐怖におびえた顔、でも逃げようとはしなかった。苦しい息づかいだ。腰から下は何もつけてはいない。何と赤ん坊が産まれようとしていたのだ。私の手の中に赤ん坊が産み落とされたのだ。奪いとるようにして赤ん坊を受け取り、歯でへその緒をかみ切り、ジャングルにはい出していった。私は別の人間になったように壕から出た。このことは誰にも話さなかった。これは決定的な出来事だった。ベトナムの人々も同じ人間であることに私は立ち返ったのだ。我々は訓練の時、「浅黒い奴ら、つり目のやつら共産主義者」人間じゃないという洗脳、かつては「ジャップ」、日本兵も鬼畜米兵と言っていた。今また、イラク人を「砂漠のサルども」と呼んでいる。
 それからというもの、私はベトナムの家庭を訪問し、子どもと遊んだ。基地から毛布や食料を盗み、与えたこともあった。こんなことはベトナム戦争だけではなく、至る所で起こってきたことだ。沖縄においても、戦争のかたわら女性たちは新しい命を生み出していた。米軍基地や米兵により多くのレイプ、自動車事故が引き起こされてきた。子どもたちの置かれた状況が気にかかっている。基地に囲まれ暴力に取り囲まれて生活している。子育てにこれ以上の危険はない。沖縄国際大でヘリコプター墜落事故が起こった。今こそ、占領に終止符を打たねばならない。
【反戦を訴えて 憲法9条を守ってほしい】
 1996年以来、私は基地に出かけて行って若い隊員たちに呼びかけている。武器を構えて私たちを守ることはやめてほしい。武器をたたんで家族の元に返ってほしいと。9.11以降私の活動は迫害にもあって来た。しかし、そんなことは大したことではない。
 初めて日本の憲法第9条を目にして、美しい文章に感動した。私の心の師キング牧師の書いたものかと思えた。学校講演の度に、子どもたちの美しい顔を見、戦争を知らないことは9条のおかげだと思う。日本の人々には幸福を感じてほしい。誰一人家族親戚が戦争に取られることがなかった。これこそ憲法第9条の力だ。アメリカ、いや世界にこそ憲法第9条があったらと思う。皆さん方は戦争の悲惨、苦しみから守られてきたのだ。多くの政治家が9条改定を画策している。素晴らしい憲法9条は、美しく力強い。誰が書いたものでもいいじゃないか。未来の灯火危うきにある第9条を守ることが皆さん方の役目だ。すべての地球上の人々にとり大切なものであるから。世界平和はアメリカがつくるものではない。国連に任せられるものでもない。ヨーロッパからでもない。ここに集われた人々からそれは生まれる。

ギター弾き語りで「ダウン・バイ・ザ・リバーサイド」を歌唱

                          於  2005.2.12 石川県文教会館

安らかにお眠り下さい

 平和の使者、ベトナム戦争帰還兵アレン・ネルソンさんが逝去されました。医療支援に参加された方々に感謝を申し上げます。(09.3.28掲載)



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