12月2日土曜日、3日日曜日にかけての二日間、金沢市西町教育研修館に設置されている金沢大学サテライトプラザで、韓国独立紀念館の第一線の研究者たちと、国内の歴史学者を招いて、日韓共同学術会議を開いた。
テーマは、「尹奉吉義挙と世界平和運動」。
昨年11月、東北アジア平和連帯の環を為す共同行動の可能性を探る訪韓を行い、独立紀念館の尹柱卿館長と禮山郡月進会事務所で会見し、その方向性を合意したのが直接のスタートとなった。さらに、今春の訪韓でも紀念館に立ち寄り、研究者との面談を行ったが、館全体の共通意思にまでは未だ至ってはいなかった。その後、尹素英専任研究員の積極的な働きにより、実現をみた。
私たちも、尹奉吉義士共の会、月進会日本支部が共同して金沢準備委員会を設置し、夏から本格的な準備に入ってきた。手探りで、「能力を超える行動」との自嘲気味な冗談も飛ばし合いながら、無償の努力が結びあって開会にまでこぎ着けたものだ。
2日の午前中は、野田山の改修なった尹奉吉義士暗葬之跡で献花式。暗葬之跡整備に心血を注いだ朴仁祚月進会初代日本支部長の墓参。この画期的な学術会議開催の報告と議論の深まりを誓った。
午後の開会行事では、孫である尹柱卿独立紀念館館長が開会挨拶。画期的な平和連帯のための市民間討論の場が始まった。
あらゆる手段がレジスタンスの国際水準
初日、共同学術会議には、想定を超える市民が参加。金沢、石川はもちろん、韓国、遠くはアメリカワシントンDC、そして東京、名古屋、京都、大阪、松山… 4本の報告を巡り、100人近くの参加者により、5時間に亘り熱い討議が続けられた。
焦点となった論点は、尹奉吉の独立運動を「テロ」として切り捨てる歴史評価から、人類史上の道義として普遍性を共有することであった。
それまでには、客観性ある多面的に彫り込んだ研究討議を平和運動として更に積み上げる必要がある。
例え今は少数派でも 脈々と流れてきた
日韓共同学術会議二日目。午前は、高松町の反戦川柳人鶴彬の碑めぐり。独立紀念館、韓国月進会一行も、たいへん関心を示した。
午後は、昨日以上の参加者で埋まる金沢大学サテライトプラザで、「反戦平和運動の過去と現在そして課題」で、討議を深める。
日本の敗戦・アジアの解放、更には朝鮮戦争、ベトナム戦争を挟む100年間を今日から俯瞰しながら、抑圧からの解放を目指す運動の思想の継承、課題について思索を深めた。
鶴彬の川柳は、反帝国主義の思想の吐露であった。同時期に大阪の監獄に収監され、金沢で処刑された尹奉吉は、3.1独立運動を背にした安重根の抵抗思想を受け継いだ。
布施辰治は、治安維持法下、弁護士資格を剥奪されながらも、朝鮮植民地支配の不義を告発し、正義を求める心は朝鮮民衆と共にあった。
これら、抑圧に対する抵抗の系譜は、南北分断後の朴正ヒの軍事独裁に対する徐勝さんをはじめとする不屈の獄中闘争、そして今日の韓国キャンドル革命へと脈々と流れてきた。
徐勝さんは、このキャンドル革命の完成は、アメリカからの内政干渉に毅然とノーを表明し、戦争を排除して南北統一へと歩む自己決定を明確にすることだと、文在寅政権に注文をつけた。
私は、こうした歴史に綺羅星のごとく刻まれた不屈の人々に挟まれて、金沢からの平和連帯の試行錯誤の運動を報告させて頂いた。徐勝さんの言葉を借りれば、アジアでの植民地支配と侵略戦争、南北固定化への加担の近現代史に対し、加害と被害を逆転して認識する倒錯状況が深刻化している。これが、被害者からの命がけのプロテクトを客観的に受け止めることを妨げている。この壁を、国家主義や偏狭な民族主義を離れて、自治体、市民の連帯により、乗り越えられないか? その具体的な方策・方向性が私に問われた。課題は課題を呼ぶ。少しづつ地点が上昇することを期待してまた、新たな歩みを始めたい。