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森一敏
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金沢市教委 中学校学校選択制導入へ
                                                  (05.12.31) 
金沢市中学校学校選択制度を問う                        金沢市議会議員
                                                    森 かずとし


 
金沢市教育委員会は、10月17日の金沢市小中学校通学区域審議会の答申を受け、19日の定例教育委員会議で市立中学校に学校選択制を導入することを決定した。

 私は、以下に述べるように、学校選択制は、教育への市場原理導入であり、公教育破壊の危険をはらんでいることから、学校現場や地域住民と意見交換を重ね、先行地での実施状況の調査、非実施自治体の視察も行いながら、04年9月以降三度本会議質問で石原教育長の考えを質してきた。市教委によれば、学校選択制とは、「市教委が通学校指定を行う前に、保護者や生徒の要望を聞き、尊重する制度」である。学校選択制により、選ぶ側は「行かされる学校」から個性にあった「行きたい学校」へ通学でき、学校への関心が高まり、保護者の協力もすすむ。選ばれる側の学校は、情報を開示し、学校の特色作りに真剣になる、競い合いの中で教職員の意識改革が促され、教育の質が向上する。このように説明されてきた。果たしてそうなのか。


1.東京視察・先行地の実態
 私は、八月中旬に先行地東京を視察した。特色ある学校づくりを標榜し導入から6年目の品川区。見えてきた結果は、特色で学校を選んだ親子は少数。近代的な快適校舎、進学校進学に結びつく「伝統校」、中学校では生徒の「荒れ」のない「落ち着いた学校」が選ばれる。こうして「人気校」「不人気校」が二極固定化し、学校間格差が更にすすんだ。学力調査結果を公表して学校選択させている区も現れている。区によっては、統廃合になる学校が出始めている。
 品川で長く子ども育成活動に携わるSさんは、選択制によってかえって学校が画一化していると報告した。選択する側が受験を想定した学力向上を求めるため、補習、習熟度別指導を「特色」に掲げる学校ばかりになってきたというのである。このことを品川区で小学校に勤める教師は、「学校が振り回されて、結局『学力向上』という特色のチェーン店化になっている」と皮肉った。彼は、学校のチェーン店化がすすむ中、「学力向上」と人気取り活動に追われ、子どもとじっくり向き合う教育活動が衰退している、また、そのことに問題意識すら感じない教職員が増えるなど、教職員の意識の荒廃もすすんでいると実態を憂えている。


2.学校選択制度の本質 つながりを断つ能力主義
 大阪市教委は昨年度の時点で注目すべき見解を公にしている。「学校選択制によって差別が再生産されることを危惧する。導入は考えていない。」差別は部落差別ばかりではない。「荒れ」のある子を避けることも差別だし、障害のある子を避ける風潮が生まれるやもしれない。結局のところ、学業やスポーツにおいて「能力のある」一部の子ら選べる子と、選べない子たちとを分断する。自己優先は人をバラバラにし、別々の方向に走らせる。地域から子どもたち同志の精神的な絆と共有体験、つまり生きる基盤が失われてゆく。Sさんは地域から子どもたちの姿が見えづらくなったとも言う。こうして地域は一層孤独な空間に寂れ行くのである。
 学校選択制が拡大する大都会東京にあって、敢えて導入を見送っている世田谷区、北区などもそのことを危惧している。教育の活性化は地域に根ざし、地域を豊かにする以外にないと、独自の地域子ども育成の施策を展開している。傾聴すべき見識である。
 基本的に、学校選択制度とは、一握りの選りすぐり「スーパーエリート」を早期に選別し、効率的な教育投資を行えるシステムづくりの一環であり、教育基本法改悪の意図と底通するものであることを改めて指摘しておかねばならない。


3.公教育の危機
 誤解を恐れずに言う。学校選択制とは「教育の商品化」ではないか。通学区域間を移動する子どもの数の大小が問題なのではない。選択機会が生まれることにより、教育に求める価値観、教育を捉える目が、商品選択者のそれになる。公教育が商品になって良いのかと問いたいのである。学校と子どもたち・保護者の関係が差別化した商品提供者と購入者のそれになるならば、家庭の経済力の格差が「教育商品」購買力を格差付け、公教育の大原則である教育の機会均等が損なわれることになる。 
 「荒れ」た学校の困難に直面し、本気になった地域の大人たちが教師や保護者たちと汗まみれになって子どもと学校を立ち直らせた教育実践が金沢にもある。教職員は子どもが集まる学校にするために競い合い、切磋琢磨させられるのではなく、目の前の子どもたちとの充実した教育実践のために協力協働したいと願っている。困難を避け、自分本位で学校を選択させるシステムは、そんな本物の公教育を消滅させるのではないか。私は深く憂慮している。


4.金沢市における導入までのプロセスについて
 2003年6月議会以降、全会派が本会議において各議員の質問という形で学校選択制導入に対し、疑問や不安を投げかけてきた。私自身、三度の本会議質問を行ってきた。導入先にありきの市教委はまともな答弁ができていない。再質問はもとより、挙げ句の果てには不誠実な答弁に対する抗議の申し入れまで行わざるを得なかった。聞く耳をもたない教育長の姿勢に対する批判は、他会派議員の中にも未だに根強いものがある。
 9月議会直前までは、そのことが議会の意向として教育委員会を抑制していた。しかしながら、保守系会派にある異論は、手続き論が最も重きを占めていたため、8月末から9月上旬にかけて、市教委が矢継ぎ早に市民フォーラム、市PTA協議会7カ所説明会、二つの最大会派への説明などを行った結果、総選挙を境に潮時がきたとばかりに容認へと舵を切った。ただし、会派間の協議を通じ、各議員個人には賛否があること、市教委の説明責任が不十分であることが認められ、議会として厳しい検証を行っていくとの議長名の申し入れとなった。これは、異例のことである。
 通学区域審議会での議論には、学校選択制懇話会以来目新しいものはなく、従来の見解が交わされて答申が取りまとめられた。「わずかな受け入れ数であり、問題視するまでもない。」「高校入試も全県一区になった。選択肢が段階的に拡大することは流れだ。」など不見識な発言も委員からなされている。内部で激論が交わされたという校長会代表も、「制度の趣旨を活かし、特色ある学校づくりに努めたい。」と前向き発言に終始している。その裏側で、小規模校を預かる現場校長には、学校存続の危機感が色濃い。
 導入が決定された19日の教育委員会議の直後、市教委は、各中学校毎の受け入れ枠人数を公表すると共に、山間地の小規模校への通学費補助事業の適用を打ち出した。現在、二小中併設校を新たに特認校に指定する方向で検討がなされている。生徒獲得競争が格差を生み出すことを認めている証左である。


5.二枚舌を使い分ける市教委
 市教委は、現在、賛成者には、個性に合わせて学校を選べる制度であると喧伝し、競争原理による学校の活性化を目指す学校選択制度であることを隠さない。新聞報道に登場する石原教育長は、一貫してそうコメントしている。「子どもや保護者が自ら選択した学校に通うことで参画意識が違ってくる。希望校選択の際、親子の対話が生まれ、子どもの個性を知る。学習指導要領に基づいて教育が行われるから学校間格差につながるとの意見は当たらない。より積極的に子どものための教育を考えるきっかけになる。保護者には自分の目で見て、子どものために最良の学校を選んでほしい。」これでは、先行実施地での学校間格差、序列化の実態に説明がつかない。
 その一方で市民グループによる撤回の申し入れや公開質問には、この制度は通学指定校に行けない子を救うための制度であり、通学区域の弾力化の拡大に過ぎないとしている。それでいて、抽選に当たっては希望理由を順位づけず、抽選漏れでもどうしても希望校に就学したい場合は、現行の指定校変更制度を使えば良いとしている。これでは、市教委曰く「救済措置」としての新制度を導入する意味はないことになる。
 市教委は、自由な学校選択制というイメージはマスコミ報道によって一人歩きしたものであると言ってはばからない。「学校に特色づくりの競争持ち込まない。」(教育総務課)「危惧が杞憂に終わるよう、学校間格差を招かないようにしなければならない。」(学校指導課)とまで言っている。ちぐはぐなのではない。二枚舌なのである。こうした対応に誠意が感じられないと、地域で批判がくすぶっている。


6.中学校選択制の導入
 市教委は下準備よろしく、正式決定直後に各中学校毎の受け入れ枠を公表した。先に引用した市教委の一方の説明によれば、「自由選択としての学校選択制ではなく、あくまで弾力化の一環で、学校間競争を意図しない」ことへの具体的な担保がこの枠づけにあるということなのだろう。この枠づけは、「原則学級数を増やさない範囲での受け入れ人数」であり、制約の意味を持つらしい。
 しかし、当然ながら先行実施自治体でも、施設面からの制約は受けざるを得ない。数の大小であって、選択制度の性格を変えるものではない。しかも、4クラス各40人が就学する予定の金石中学校について、「公平性を保つには受け入れ枠なしとす訳にはいかない。」との理屈をつけて、一学級増を想定し、結果市内最大人数となる30人もの枠とする特例を設けた。
 また、地元紙の報道によれば、「制度が定着し、保護者等からの要望が高まれば、受け入れ枠拡大も検討したい。」とのコメントがなされている。既に受け入れ枠が小さいとのクレームが届いていることは私自身も直接教育総務課から聞いている。選択する側からのより高い自由度を求める圧力を受け、拡大する。先行実施地では移動人数は拡大の一途を辿っている。選択とはそういうものだろう。まさに「欲望のパンドラのふた」が開かれるのだ。同地元紙は、社説の中で、受け入れ枠は撤廃せよと主張している。
 市教委は、希望申請の受付締め切りを11月22日とし、学校毎に小学校保護者への説明や中学校見学会を行い、中学校紹介の冊子「金沢の教育 学校編」を配布した。その原稿は夏季休業中には提出を求められていたものである。これが、学校選択の基本的な情報源となる。いわゆる学校PR誌である。どの学校も、最善の教育実践を目指している。一時的な学校参観を加えても、これで子ども、保護者は本当に就学すべき中学校を選べるのだろうか。そのような中、最も気になるのは、「卒業後の進路」を国公立学校、私立学校、その他と区分し、その比率を掲載していることである。これがどのように受け取られ、選択動機に影響していくのか、想像に難くない。また、近い将来、学校毎の学力調査結果の公表を求める声にもつながりかねない。

7.公開抽選

 市教委は、受け入れ枠を超えて抽選になる学校を4校について、本人に通知した上12月10日に公開抽選を行った。抽選に漏れた生徒が泣きながら会場を後にしたケースが報道され、希望者全員入学への配慮が教育環境常任委員会でも委員から要望された。流出数や転出数によって、受け入れ枠に収まるようになった3校も抽選を行ったことが拍車をかけた。市教委は、受け入れ枠について見直しに入るだろう。
 各校の希望者人数が公表された場合、その人数が学校現場に心理的な影響を及ぼし、生徒獲得へと教職員を駆り立てていくおそれが強い。 加えて、抽選漏れの子どもや保護者に与える心理的な影響、受け入れ枠の拡大を求める声の高まり、居住地域の学校への愛着は生まれるのか、など危惧されることが少なくない。


8.学校現場、地域、子どもの生活の場から厳しい検証を
 学校選択制懇話会も、通学区域審議会も導入先にありきの無責任な答申を出した。議会も含め、すべての子どもたちに責任をもつ公教育のあり方をめぐる教育論議が極めて不十分であったことが残念でならない。
 この間、学校選択がもたらす弊害を危惧する地域の住民や障害児の保護者たちから、市教委にいくつもの問題提起がなされてきた。6月のいしかわ教育総研の提言に始まり、新日本婦人の会の導入延期の請願、県教組金沢支部からの慎重審議を求める要望書、障害児の保護者ネットワーク「つながりの会」による学校選択制見直しを求める要望書、更には、地域住民からなる「学校に行くことを考える会」による公開質問、市民本位の市政を実現する会からの実施延期の申し入れなどである。「学校に行くことを考える会」の公開質問状に対する文書回答は、提出から一ヶ月以上経った11月15日にようやく返信された。 そうした団体の行動以外にも、個々の保護者や地域住民との意見交換では、学校選択制のねらいがよく分からない、なぜ導入しなければならないのか疑問、導入が一方的で民主的ではない、派手な教育改革は受けねらいではないかとの否定的な受け止めが少なくない。また、義務教育はやはり居住地域で受けさせるべき、市教委は責任を持ってどの学校も子どもにとって良い学校にしていくよう援助するのが仕事ではないかなど、表だった反対表明ではなくとも、冷静に選択制の問題性を認識し、公教育のあり方を問うている。
 学校選択制は、今や経済財政諮問会議が答申する構造改革のための「骨太方針」に盛り込まれ、閣議決定された政府方針である。連立与党政権の規制緩和・構造改革路線は、日本に急速な格差社会をもたらしている。教育にも格差をもたらさないわけにはいかない。公共を支える教育か、「勝ち組・負け組」教育か、教育を真剣に考える市民の厳しい監視が必要になる。私も引き続き、議会内外から厳しくチェックして行く。

                   
12月議会本会議質問はこちらから



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